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<きのうから続く>
約束どおりルキーノ・ヴィスコンティが観劇に来た。それはちょうど「ブーイングの日」だった。芝居のはねたマレーの楽屋をノックしたヴィスコンティを招き入れたのはジョルジュだった。 「コメディ・フランセーズもたいしたものだな」 「ルキーノ、君か!」 マレーは鏡に映った友人の顔に歓喜の声を上げた。 「ラシーヌでこんな大騒ぎを引き起こせるとはね」 「よりにもよって今日来るなんて……」 「よりにもよってって?」 「今日はブーイング日なんだよ。きのうか明日なら、こんな野次は飛ばないんだけど」 口調が多少言い訳がましくなる。 「ブーイング日だって? どういうことだ、それは」 マレーは説明した。 「つまり、一日おきに席を買い占めて野次ってるグループがいるってことか」 「最初は毎日だったんだけどね」 「資金がなくなってきたってわけだ」 「多分ね」 「誰なんだ」 「さあ……」 居心地悪そうに楽屋の隅に立っているジョルジュに気がついて、マレーは彼をヴィスコンティに紹介した。ヴィスコンティはあたりさわりのない挨拶をジョルジュと交わす。ヴィスコンティにはそれが誰かわかっていた。「ジャン・マレーはアメリカ人の若いバレエダンサーのためにジャン・コクトーと別れた」という噂は、すでにイタリアでもまことしやかに囁かれていたのだ。もちろんマレーには言わなかったが。 一杯飲もうということになって、ヴィスコンティとマレーは夜の街に出た。ヴィスコンティは丁寧な英語でジョルジュも誘ったが、ジョルジュは固辞して先に帰った。美貌のバレエダンサーはいつまでたっても、マレーの友人とあまり積極的に親しく交わろうとはしなかった。 ヴィスコンティとマレーの会話は芝居のことになった。 「アグリッピーヌ役はマリー・ベルか」 「そうなんだ」 「彼女が母親役を演るのを観るのは、多分初めてだな」 「確かに今回が初めてだよ。でも、ぼくは最初からアグリッピーヌはマリー・ベルしかいないと思ってた。彼女は母親役なんて演らないって、周りは言ったけどね。おまけにぼくは彼女から絶交されてたし」 「絶交?」 「占領時代にコメディ・フランセーズに入団したことがあったんだ。間に入っていろいろやってくれたのがマリー・ベルだった。でもぼくはマルセル・カルネと映画を撮ることになっていた。ジャンの脚色でね。それでいったんコメディをやめたんだ。初舞台を踏む前にね。映画が終わったら戻るつもりだったんだけど、それを新聞がおもしろおかしく書きたてた。おまけにナチはぼくが大嫌いで、映画の許可を出さなかった。なんで、すぐにコメディに戻ろうとしたんだけど、そのときのぼくの態度が支配人の逆鱗に触れて、一巻の終わり。マリーは面子丸つぶれで、ぼくと口をきかなくなったってわけ」 「君はどこでもやることが派手だな」 「しかも何の因果か、その映画、今年の5月に公開になるんだ」 「マルセル・カルネが監督でか」 「そう。脚色はジャンじゃないし、ぼくも出ないけどね」 「タイトルは?」 「『愛人ジュリエット』」 「ジェラール・フィリップか!」 「そのとおり」 「なるほどね。カルネは10年越しで実現させたってわけか」 「ジェラールという素晴らしい役者を手に入れてね。ジロドゥの『ソドムとゴモラ』のときもそうだった。まだパリが解放される前のことだけど。エドヴィージュ・フィエールが相手役で、ジロドゥがわざわざぼくとのところに依頼に来た。ジャンに相談したら、演ってみたらって。だからいったん承知したんだけど、そこにジャン・ジュネがやって来て、『コクトーがそんなことを言うはずない。もし出たら彼を悲しませるだけだ』って……」 「それは、ジロドゥの芝居だからか。それとも『ソドムとゴモラ』だから?」 「多分その両方かな……いや、どちらかというと、『ソドムとゴモラ』だからかもしれない。とにかく、そう言われて、ぼくも考えて、結局断わることにした。で、その役はデビューしたてのジェラールに行った。あれ以来彼の才能の爆発は留まるところを知らない」 「デビューしたての相手役がエドヴィージュとは幸運な男だね。しかし、今夜のマリー・ベルと君の対決は素晴らしかったよ。一番の見せ場だったと言っていいい」 マレーはマリー・ベルを中心に配役を組み立てていた。そう言って彼女を説得したのだ。初めての母親役はマリーにとっても冒険だったに違いない。もっとも力を注いだ場面を尊敬する演出家に賞賛されて、マレーはすっかり気をよくした。 「マリーにも言っておくよ。とにかく彼女が受けてくれてよかった」 「仲直りもできたし?」 「それはどうかな。舞台を降りると相変わらず口をきいてくれないけどね。まあ、マリーはプロフェッショナルだったってことさ」 「そして、君に『ソドムとゴモラ』の役を頼んでも断わられるってことだな。肝に銘じておくよ」 「たぶんジロドゥはぼくには縁がなさそうだね、確かに。ジロドゥ作品を再演するより、ぼくならジャン・コクトーの何かを再演することを選ぶだろうし」 「ジャンは今どこにいるんだ?」 「南仏に帰ったよ。フランシーヌの別荘に」 「君を野次っていた連中だけど」 「うん?」 「ジャンの『バッカス』をこき下ろした連中の仲間か?」 「どうかなぁ。わからない」 「それとも政治がらみか?」 「政治は関係ないよ、たぶん」 「前から一度聞こうと思っていたんだが…… 君とジャンの政治的な立場は、本当のところどうなんだ? 君はアメリカ嫌いの共産党主義者だと書かれたことがあったよな」 「ああ、あれね。あれは単純な話さ。映画の技術スタッフの給料が安すぎるっていうんで、一緒に仕事をしていた仲間がデモに参加してくれって頼んできた。本当に彼らの給料は安かったんだよ。だからぼくも一緒に歩いた。純粋に友情からさ。そしたら翌日、極左新聞が、ぼくを英雄扱いして持ち上げた。同時に右派系の新聞が、アメリカのワーナー社の映画の仕事をぼくが断わったことを持ち出して、アメリカ嫌いのコミュニストだって書きたてたんだ。まったくその想像力とこじつけには恐れ入るよ。ぼくは政治はやらない。君と違って頭が足りないからね。単純にわからないのさ。ジャンが右からも左からも攻撃されるのは、ジャンが友情を最優先させるからさ。右の友人を擁護して左から攻撃される。左の友人を擁護して右から攻撃される。ぼくらの知らないところで、いつも話が一人歩きしてるだけだよ」 「ワーナーの仕事を断わったのは?」 「舞台の仕事ができなくなるからだよ。ワーナーの条件だと、ぼくは1年以上アメリカにいなけりゃならなかった。ハリウッドの金をきたら、本当にはりさけんばかりだよね。ジャン・ピエール・オーモンがハリウッドで大金持ちになったことは知ってる。彼はユダヤ人で、アメリカにたくさん同胞がいるのさ。でも、ぼくはどこまでいってもフランス人で、パリの舞台を愛している。君がオペラを愛してるようにね。ここがぼくのふるさとで、ぼくが根を張るべきところだ。そもそもぼくは英語もできないし、アメリカには友達もいない。ジャンも反対だった。『いくら積まれても断わったほうがいい』ってね。おかげでぼくは相変わらず金はないけど」 「ジャン・マレーに金がないって?」 「ジャン・コクトーにもないよ。彼は金持ちだと世間は信じてるけどね。ぼくの場合、問題は映画の報酬がべらぼうで、舞台は金食い虫だってことかな。今ぼくはコメディ・フランセーズの仕事しかしていない。知ってるとは思うけど、コメディはめちゃくちゃ薄給なんだよ。去年の仕事は映画が中心だった。去年の税金が今年払えるのか、マネージャーのリュリュは青くなっているよ。ぼくには節約って芸当はできないしね」 「節約ってのは芸当か」 「でなきゃ、才能かな。とにかくぼくにはゼロ」 「そんな呑気なことを言って、大丈夫なのか?」 「コメディでの仕事がいつまで続くかだな。最初は1ヶ月で追い出されるかと思っていたけど、風向きが変わってきた」 「ブーイングは1日おきになってきてるんだろう?」 「うん」 「なら、このまま行けば、たぶん2日おきになり、3日おきになる。そのうち相手の資金が尽きる。そうなれば君の勝利だ」 「勝利が先か、破産が先かだな」 「それはいくらなんでも、冗談だろう?」 「だといいけどね」 もちろん軽口のつもりだった。『ブリタニキュス』がロングランとなり、さらにコメディ・フランセーズでの別の仕事も依頼され、本当に経済的に困窮することになるとは、このときのマレーは想像もしていなかった。 ヴィスコンティには噂がウソだとわかった。マレーがコクトーと別れた気配はまったくなかった。マレーのコクトーへの愛慕の念は疑いようがなかった。さらに彼の仕事にインスピレーションを与えてくれる大きな収穫があった。マリー・ベルの母親役。彼は後に、『熊座の淡き星影』でマリー・ベルをヒロインの母親役に起用する。実の娘と対立し、娘をそしり、なじる鬼気迫る演技は確かに、『ブリタニキュス』のアグリッピーヌ役に通じる狂気に彩られたものだった。 <明日に続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.07.10 01:41:29
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