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(10)ジャン・コクトー 「白書」求龍堂
1928年にコクトーが匿名で秘密裏に出版した、魂の告白。マレーと出会うほぼ10年前の著作だが、コクトーがどんなタイプに致命的に弱く、どんなタイプとは共に生きていけなかったかが手に取るようにわかる。それはすなわち、コクトーがジャン・マレーのような肉体と精神の持ち主をどれほど待ち焦がれていたかの裏返しのようにも読める。常に恋した人とのどろどろの愛憎劇や死別という暗い運命につきまとわれていた「私」は、10年後にマレーという純粋で健康的な青年に会うことで、「白書」に描かれた闇の精神世界から解放されたとも言えるのではなかろうか。また、「鏡」「手袋」などその後のコクトー作品(特に映像作品)で重要な意味をもつアイテムが出てくるのも興味深い。 以上が、この連載を書くにあたって参考とさせていただいた主な資料だが、ジャン・マレーに関する評伝は、本国フランスでは相当の数が出ている。2000年代になって出版されたものも多い。 これは1999年にパリで開催されたジャン・マレー回顧展から。 ジャン・マレーっておじいさん……と思っていたパリの若者が、若いころのマレーの写真を見て驚愕したという話もある。 確かに…… 『悲恋(永劫回帰)』を見たときは、Mizumizuも驚いた。 晩年のマレーは南仏で陶器制作を始めるのだが、その師匠になったジョー&ニニ・パスカリ夫妻による評伝『素顔のジャン・マレー』。 パスカリ夫妻とマレーは本当に(本当に、というのは、実際にはたいして親しくなかった人たちがマレーの評伝を多く書いているからだ)仲がよかったらしく、マレーの『私のジャン・コクトー』にも2人との楽しい食事の思い出などが綴られている。鬼籍に入ってしまった友人が多い中で、ニニ・パスカリは長生きだったこともあって、生前のマレーを知る貴重な友人の1人として、頻繁にマレーに関するインタビューに答えている。 ご存知、マレーの「妹」キャロル・ヴェズベレールその他による『熱愛されしひと、ジャン・マレー』。 マレーと実際に交流のあった人々の思い出集といったところ。この表紙の写真は、映画『ルイ・ブラス』から。マレーの作品の中では、比較的地味な『ルイ・ブラス』のカットを使っているのは、この映画でのドン・セザール役が本来のマレーがもっていた「おおらかな明るさ」を全面に出したキャラクターだったからかもしれない。マレーのその他のコクトー作品での役柄は、どこか暗く、陰のあるものが多かった。 同じ時期、『ルイ・ブラス』の撮影セットでレイモン・ヴォワンケルが撮ったコクトーの写真がこれ。 「ムッシュー・コクトーはとてもおしゃれで、服装はいつもパーフェクトだった」と言っていたキャロルの言葉を裏づけるダンディぶり。 この不思議な扉は『ルイ・ブラス』の王妃の居室に使われた(映画でどう使われたかは、5月23日のエントリー参照)。 『ルイ・ブラス』はヴェネチアで撮影が行われ、コクトーはマレーに同行していたのだが、個人的な関係でいえば、1930年代の後半から1940年代の後半のこのころまでが2人の蜜月時代。 2人で過ごしたヴェネチアをコクトーはいつまでも忘れず、後にマレーが1人でヴェネチアに撮影に行けば、「君と一緒に行きたい」、自分がフランシーヌやドゥードゥーとヴェネチアに旅行すれば、「ぼくは君と一緒にヴァポレットに乗っています」と書き送っている。 いろいろなライターが出してるジャン・マレー関連の本。なぜあなたがジャン・マレーの評伝書いてるの? の代表ジル・ドゥリューの『ジャン・マレー』 ドゥリューは俳優でもあり、ライターでもあるのだが、マレーと一緒に仕事をしたことはほとんどないと思う。 とはいえ、俳優ジャン・マレーが好きだったことは間違いないらしく、マレーの最大の魅力は、「ギリシア彫刻のような男性美にあふれた完璧な肉体」だと言っている(一番はカラダですか、フムフム)。 この人もよくわからない、ジャン・ジャック・ジュロブラン。 俳優でもあり、ライターでもあり、プロデューサーでもある多才な才能の持ち主ジュロブランは、スターの評伝が多い。ダスティン・ホフマンだとか、ブールヴィル(『怪傑キャピタン』などでマレーとも共演した喜劇俳優&歌手)についての著作もある。 内容は……知りません。ジャン・マレーとのプライベートな接点は、それほどはないはず。 「なぜあなたが書いてるの?」本は、マレーの没後に出版されているのが特徴。 2006年にはジャン・マレーのDVDも出ている。 その名も『赤と金の痛み』。 ここに挙げた評伝はごく一部。俳優ジャン・マレーの得意技、かぶりモノによるメタモルフォーゼ(変身)を分析した書籍もあるし、南仏の芸術家としての晩年の暮らしにスポットを当てたものもある。 本国フランスで、ジャン・マレーの映画で今でも人気があるのは、実は必ずしもジャン・コクトー作品ではない。『城塞の決斗』『怪傑キャピタン』『ファントマ』といったお気楽娯楽劇のほうが、今でもリバイバルされてそれなりに客を集めている。 実際、この手のたわいもない話を一緒になって盛り上げるフランス人観客のユーモアセンスはたいしたもの。映画館ではそれこそ『寅さん』映画で盛り上がる東京の下町っ子よろしく、ギャグに大受けして笑い、不当な行為にはブーイングを浴びせ、美女が救出される場面では喝采が起こる。ああいった姿を見ていると、「あ~、ラテンの国や」と思うのだ。 日本ではジャン・コクトー作品と結びついた美青年で時間が止まってしまった感のあるジャン・マレーだが、80歳を超えるまでコンスタントに舞台に立ち続ける一方、80本を超える映画に出た多才な俳優について、それはあまりに無知というものだろう。 ジャン・マレー自身は自伝の中で、「もし美貌が要求される役ならば、美しく見せようと最大限の努力はする。醜い役なら穢く作ろうと努めるのと同じ意味だ」と書いている。つまり彼は、なにより演じることを生業とする職業人であり、自分なりの手法でその道を究めようとしたプロだったのだ。 どうも日本人は、特に欧米の俳優に関しては、顔しか見ない傾向がある。若い美人やハンサムなら夢中になって過剰なほど持ち上げるが、年をとったら見向きもしない。言葉の壁があるとはいえ、ずいぶんと失礼な話だ。自分が年齢や見かけだけで判断されたら、不愉快な思いをするだろうに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.09.14 22:00:32
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