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カテゴリ:Movie(フェデリコ・フェリーニ)
<きのうから続く>
黒髪君(アシルト)を失ったブロンド君(エンコルピオ)は、元詩人で今は大富豪の出す船に乗せてもらおうと海へやってくる。ところが彼はすでに死に、「遺産が欲しくば、私の死肉を食え」と遺言を残していた。「カネが入れば、あとからうまいものがたらくふ食えるから…」と、遺産を目当てに人肉を食らう人々。 そんな中、初対面のブロンド君に「一緒に船に乗るかい?」と誘う青年。 知的で物静かな雰囲気の、ギリシア彫刻風に整った顔立ち。 彼に見つめられてなぜか… ブロンド君、微妙に恥らってる?(キミ、つくづく守備範囲広すぎ) 顔のアップも、ワンカットワンカット工夫しているのにご注目。背景にまったく何もないショットの次には、カメラの絞りを開け、後ろに船の一部をぼかして入れて周囲との距離感を出したショットが来る。どの角度から撮った顔を、横長の画面のどの位置にどう入れるか、1つ1つ工夫している。 「Si(=Yes)」と答えるブロンド君に、ギリシア彫刻君が言う台詞、それは奇しくも黒髪君の最後の台詞と同じ、「Andiamo(=Let's go)」だった。(なぜか、このAndiamoという台詞には字幕がついていない)。 いいカンジに見つめ合って、並んで船へ向かう2人。 ここから先は、海上に浮かんだ島が映り、ブロンド君のナレーションになる。 「その夜、私は彼らと船出した… …初めて聞くケリシャやレクティス。香草の香る島でギリシアの若者が昔話を…」 ここでいきなりナレーションが途切れる。そしてブロンド君のアップが映り、それが壁画の絵に変わっていく。音楽はニーノ・ロータ。だが、音楽といえるほどの音楽はほとんどない。盲目の吟遊詩人がつまびくような、シンプルな――聞きようによってはたどたどしい――竪琴の弦の音が風の中から聞えてくる。風の音はどんどん強くなる。弦の音をかき消すほどに。 カメラが引いていき、観客が目にするのは… 壁画の中の人物となった登場人物たち。ブロンド君、黒髪君、2人が争った少年、暴将リーカ、自殺した善き貴族もいる―― こうしてギリシアの若者から昔話を聞いたブロンド君自身が、昔話で語られる存在となったところで、フェリーニの『サテリコン』は終わる。 物語の冒頭で、壁画の残る壁に向かって、「大地も嵐の海も俺をのみこめなかった」と叫んでいた若者の強烈な自意識。 それから、怒りがあり、諍いがあり、失恋があり、享楽があり、快楽があり、危険があり、戦いがあり、悪巧みがあり、どんでん返しがあり、挫折があり、奇跡があり、永遠の別れがあり、新しい出会いがあり、そして遠い未知なる世界への出立があった。これはある意味、あらゆる少年が憧れ、夢みる壮大な冒険の旅そのものだ。誰かを愛し――キリスト教の狭い道徳観に縛られない愛は自由で奔放だ――誰かに愛されたとしても、ある日、心を痛めてその人と別れることになる。だがそのあと、また別の誰の人と出会って、さらに遠い、もっと広い海へと船出するのだ。 そして、すべてをのみこんで時が流れる。最後には誰も彼も、切れ切れの弦の旋律の混ざる、強い風の音の向こうに消えてしまった。 <終わり。明日からフィギュア・スケート、中国大会についてです> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.11.07 19:00:23
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