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カテゴリ:Travel(フランス)
2009年2月1日朝6時半、パリのグランパレには、すでに長い行列ができていた。
夜も明けきらぬ、気温マイナス3度の真冬の朝にこれだけの人がつめかけて並んでいる。このイベント、いったい何だと思いますか? 有名ブランドのバーゲンセールではない。「Picasso and the Masters(ピカソと巨匠たち)」――20世紀最大の画家・ピカソと彼に影響を与えた先達の作品の関連性に焦点を当てた、コチコチのファイン・アートの企画展だ。 2008年10月から始まった同展覧会は空前の人気を博した。評判が評判を呼び、「予約券」を持たない一般人が見ようと思うと3時間、4時間待ちは当たり前の状態になったとか。 その展覧会が、2009年2月2日に最終日を迎える。最後の3日間はなんとなんと、グランパレの展覧会場はオールナイト、つまり24時間オープンになったのだ。 ファイン・アートの展覧会がオールナイトオープンなんて、聞いたことがない。実際にグランパレに足を運ぶまで、「本当にそんなに人が来るの?」と半信半疑だった。 Mizumizuは実は朝5時から並んだ。行く前は、「いくらなんでも、早すぎるかなぁ」などと思っていた。ところがグランパレに着いたらビックリ! 砂糖に群がるアリのごとく人が集まっている。 最初、行列はこの写真の4分の1以下だった。それでもエントランスまで進むのに1時間半待ったのだ。やっとスロープをのぼってエントランスにたどりついたときに撮った写真がこれ。待っている間に行列はのびて、すでに大通りに出ている。最後尾の入場希望者は、恐らく4時間待ちだろう。 グランパレまではホテルからタクシーで行ったのだが、タクシーの運ちゃんが展覧会の入り口がどこかを知らず、グランパレの脇で降ろされてしまった。当然グランパレはただ暗く、周囲にひと気はない。 とってもさみし~い、早すぎる朝の風景だった。 「どこでやってるのよぉ」と思いつつ、あてずっぽうでセーヌ川のほうに歩いてみた。でも、やっぱりひっそりとして展覧会の入り口らしきものはない。 そこへ、「いかにも絵を見てきた」らしき女性が歩いてきた。 「ピカソ展の入り口はどこ?」 さっそく聞いてみる。 カンはあたり、 「裏よ、この建物の真後ろ」 と教えてくれた。 「私も見てきたけど、すごくいいわよ!」 心なしか頬が紅潮している。 ホテルのフロントマンの中にも、見たという人がいて(例のいけ好かないオニイではない)。やはり、「素晴らしかった!」と言っていた。 これだけ一般人が絶賛するのも珍しい。 期待を胸に建物の裏へまわると、なんのことはない。大通りにある地下鉄の入り口からすぐのところが展覧会場のエントランスになっていたというわけ。 北海道の冬で防寒のポイントはおさえている。「下半身」が大事なのだ。上だけ暖かいコートをはおっても、下が薄着ではゼッタイに寒い。なのでジーンズの下に、おもいっきりの「ババズボン」、それに冬山トレッキング用の靴下。上もババシャツにセーター、カシミアのコートにウールのショール。 マイナス3度ぐらいなら、大丈夫――と思っていたのだが、さすがに1時間半立ちっぱなしはこたえた。足元がじんわり冷えて、何度か見るのを断念しようかと思ったほど。 「こんなに並んでまで見る価値あるわけ?」 結果――見る価値は、間違いなくあった。 途中で諦めなくて本当によかった。これほどおもしろい展覧会はほとんど見たことがない。「ピカソ+その他の巨匠」という、ある意味ありふれた企画がなぜそんなにおもしろかったのか? いや、その企画こそが抜群だったのだ。 ピカソが先達の作品を模倣し、その技法やスタイルを吸収し、やがて破壊していったということはよく知られている。観念としては知っていても、では具体的にピカソのどの作品が、過去の巨匠のどの作品と似通っているのか。 それをズバリこの展覧会では並べて見せてくれたのだ。 具体的に展示された絵で紹介しよう。作品はカタログを手持ちのデジカメで写したもの。 ピカノは自画像を描くとき、過去の偉大な画家の作品に自分をなぞらえていたという話は聞いていた。 だが、こんなふうに実際の作品を並べて観賞する機会はなかった。 左はスペインの画家プエンテの1895年の作品。右がピカソの自画像。1897年、巨匠がわずか16歳のときの作品だ。 この2つの肖像画の類似性と相違性は明らかだと思う。明らかにポーズをなぞっているが、ピカソ像では顔がやや横向きになり、昔の音楽家のようなカツラをかぶっている。プエンテ作品と同じく暗い色のマントをはおった身体が三角形のフォルムとして描かれいる(写真では見えないかも)が、首に巻いているモノが対照的、質感も色も。そして全体に構図が下にさがり、腕は入っていない。 このピカソ像には、早熟の天才・ピカノの皮肉と憂鬱が表われているように思う。左の肖像画の男はすでに本当に若くない。右のピカソはまだ10代半ばだというのに、はつらつとした若さが感じられない。 ピカソは、「若くなるには、長年かかる」という名文句を残したが、14歳ですでに伝統的な絵画技法と卓越したデッサンのテクニックを身につけていた早熟の天才は、精神的にはこのころ、まったく若くなかったのかもしれない。つまり、自分の中に若さを見つけられないでいたのかもしれない。 当時の自分の絵についてピカソは、「友人はぼくの絵を見て、古典派の巨匠の作品のようだと評した。でも、ぼくはこのころの自分の絵が好きではなかった」と言っている。 さらに面白いのは、1901年、パリに出てすぐのころに描かれた3枚の肖像画だ。 まずは1枚目。 左はプーソンの作品(1650年)。右がピカソ。 この2つの作品の関連性は、やや研究者の「こじつけ」に近いかな、とも思う。だが、右肩を前に出したプーソン作品に対し、左肩を前に出して逆を向き、あげていた腕を下げ、黒衣に対して白衣をまとったピカソ。背景の額縁の絵は向って左後方に簡略化して描いたと考えると、なるほど、ピカソ一流の「翻案」のパターンの範疇に入るのかなとも思ったりする。 研究者が自分の「目で見て」、関連性を直観したのか、他の作品のパターンから分析したのか、あるいはピカソの覚書など、何か文献のようなものがあって、この2作品を関連づけたのか、詳しくは知らないのだが、まったく技法の違うこの2つの作品が、「構図の翻案」という地下水脈でつながっているという発想は、それ自体が興味深い。 そう思ってみると、着衣の布の質感の描き出し方も、どことなくつながっているようにも思うのだ。 そして、次。 左はご存知、ゴッホの自画像(1888年)。右はピカソの肖像画(上と同じく1901年)。 上の「プーソン作品の翻案としての肖像画」の筆のタッチと似ているようだが、こちらのほうが細かい。なんといっても、ゴッホ作品と共通するのは、そのやや硬直した細かいタッチだ。 左のゴッホが正面を向き、はおった上着のボタンをはずすと右のピカソになる――と取れる構図だ。パレットとイーゼルは姿を消し、画の中央にだけスポットを当てたように顔は詳しく描かれているが、身体の下のほうは筆遣いが粗くなり、地の色の中に消えていってしまっている。 ゴッホとの類似性を見せながら、明らかな違いも際立つ作品だ。ゴッホのほうは画面全体を同じような筆のタッチの密度で埋めている。ピカソの肖像画のほうは、もっと描き方にメリハリがあり、伝統的な意味での、絵画テクニックの高さもさりげなく誇示しているようだ。 そして、突然、ピカソの世界がブルーに染まる。 名高い「青の時代」の始まりを告げる作品。 左は1893年から1894年にかけて描かれたゴーギャンの自画像。右が言わずとしれた、親友カサヘマスを自殺で失った直後のピカソ(やはり1901年)。 赤を基調としたゴーギャン作品に対し、ピカソは青。そして、ゴーギャンがはおっているだけのコートをピカソはぴっちりとボタンをとめて着ている。腕はおろされ、ピカソの手にはパレットも筆もない。顎を少しあげてやや挑発的な視線のゴーギャンに対し、顎をひいてじっとこちらを見つめるピカソは蒼白で視線は物問いたげ。 何もないバックは共通しているが、ピカソのほうが身体が右に寄って小さく描かれているから、その空間(あるいは壁?)が大きい。コートの広い面積とあいまって、単調な暗青色が、何かしらの不安感をかきたてる、一度見たら忘れられない作品になっている。 それから5年後の1906年、すでに「バラ色の時代」に入ったピカソ。 5年でまったく別人になってる! しかも明らかに若返ってるではないか!(笑) 悩める病人のようだった青の時代の肖像画から、まるで肉体労働をしている小僧っ子のようになったピカソ(右)。 このころから早熟の天才は、悩み多き青春を抜け、ようやく若くなり始めたのかもしれない。御歳25歳。私生活でもフェルナンド・オリヴィエという恋人に出会っている。 硬直し、縮こまったような「青の時代」の肖像画と違い、ラフな軽装で、胸と腕を出している。身体全体を隠していたコートを脱ぎ、ずんぐりとしたピカソの身体を明らかにしたこの肖像画こそ、生身のピカソの出発点かもしれない。もちろん、大仰で滑稽なカツラもない。 左はセザンヌの自画像(1884年)。右のピカソ作品と見比べると、やはりそこには、ピカノの、ピカソによる、ピカソのための「人物のポーズを含めた構図の翻案」「色調の翻案」が見られる。曲げた腕は右から左へ。パレットは右から左へ。イーゼルは消え、顔の向きも逆。胸元のV字のフォルムは共通だが、一方は背広、他方は対照的な白いシャツ。背景の色味もよりシンプルなグレーに集約されている。 この展覧会は企画、つまりピカソと過去の巨匠たちの膨大な作品の中から、関連づけるべきものを選択したこと自体も賞賛に値するが、世界中に散らばるそれらの作品を実際に一堂に集めたことがまた凄い。 かけた予算は、450万ユーロ(約5億4000万円)。これはフランス史上最大級のものだという。そして、その5分の1は、総額20億ユーロ(約2400億円)とのぼるといわれる全展示品の保険金だとか。 肖像画だけに絞って紹介したが、ピカソ作品と並んだ巨匠は、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、ゴヤ、ティツィアーノ、レンブラント、ウジェーヌ・ドラクロワ、エドゥアール・マネなど200点以上。 天才は孤児ではないこと。人々が独創性の賜物だと単純に思い込む作品の多くが、実は優れた翻案の力によるものかもしれないことを、実際の絵を並べて示した、あまりに独創的な展覧会。 そして、この空前絶後の展覧会に、寒い冬の早朝から押し寄せるフランスの一般人たちの知的好奇心の高さ。 パリでは、有名ブランド店やおいしい店に行けば必ず聞える日本語が、ここではまったく聞えてこなかったのは… 単に朝が早かったからだけなのか。でも、フランス語に混じって、スペイン語やイタリア語は聞えてきたのに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.20 02:21:05
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