|
カテゴリ:Travel(フランス)
<続き>
ピカソはその女性遍歴でも知られている。ピカソと恋愛関係になった女性はみな、それぞれが個性的で、ピカソは彼女たちをモデルに多くの肖像画を描いた。 そんなピカソの女性像と並んで展示されていたのは、意外にも新古典派の巨匠、アングルの作品が多かった。 左がピカソの妻・オルガの肖像(1923年)。右がアングル(1793~1807年)。 きっちりまとめた髪とたおやかな貴婦人然とした雰囲気はそのままに、立ち姿のモデルを座らせている。左手の曲げ方はほぼ踏襲されているが、伸びた右手は曲げられて膝のうえにおかれ、アングルの貴婦人が腕に巻いている毛皮の質感はオルガ像では襟元に移動している。 ピカソは生涯に2度だけ結婚したが、ロシア出身のバレリーナだったオルガは最初の妻。ピカソとの間に息子をもうけるが、その人生の後半はむしろ不幸だった。ピカソとの溝が深まるにつれ、オルガは次第に精神を病んでいく。 オルガのあとピカソと恋愛関係になったのは、マリー・テレーズ・ワルテル、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、そして2度目の妻になるジャクリーヌ・ロックだが、ジローによれば、彼女がピカソと南仏の海岸でバカンスを楽しんでいたとき、オルガが後ろからついてきて、執拗に嫌がらせをしたという。 しかし、このピカソ作品も、ある意味狂っているような…(苦笑) 左アングル(1856年)。右ピカソ(1929年)。 ドレスの花模様は壁に移動し、白い布地だけが残っているが、赤いソファや壁の額縁などは、確かにアングル作品を下敷きにしていることを暗示している。 だが、とりすましたような貴婦人の上品な顔は、その対極へと翻案されている。19歳でルノアール作品の虚飾性を間接的に告発したピカソの批判精神が、この「ピカソのシュールレアリスム時代」の作品でも発揮されているように思う。 そしてなぜかピカソは、晩年に至るまでアングルの女性像に固執しつづける。 左はアングルの「グリザイユのオダリスク」(1824~1834年)。右がピカソ(1969年)。 アングルのオダリスクはあまりに有名だが、グリザイユ版があるとは知らなかった。よく言われる話だが、アングルのこの女性、写実的なようでいて、実はそうではない。たとえば左足のつきかたが変だ。乳房もこんなふうに見えるためには、よほど脇についていることになる。こちらを向いている首のひねり方も不自然だ。 その意味では、さまざまな視点から見た1人の人物を1つのキャンバスの上に描くピカソ・スタイルを先取りしているともいえるかもしれない。 ゴヤの「裸のマハ」(1797~1800年)とマネの「オリンピア」(1863年)がよく似ているのは知られているが、これをピカソが翻案するとこうなる。 ともに1960年代後半の作品。 先達がわざわざ抑えて描いたエロスを、思いっきり解放してしまったような作品も多い。下はその一例。 左は17世紀のレンブラントの作品。右はピカソ(1965年)。 見えそうで見えないように描いた陰部を、完全に露出させ、しかも、なにやら白い液体が股間から垂れている。 ゲージュツかポルノか、なんつー議論もアホらしくなる露骨さ。オトコの本音はこれですかね。 でも巨匠、ちょっとばかりお下劣すぎます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.23 16:25:02
[Travel(フランス)] カテゴリの最新記事
|