|
<先日のエントリーから続く>
ジャン・コクトーもジャン・マレーも、青年や少年をモチーフにした絵が多いという点で共通している。 長くジャン・コクトーと暮らしたせいか、あるいは一芸術家として心酔していたせいか、ジャン・マレーのドローイングはコクトーの影響が顕著だが、2人の描く人物は明確に違う部分がある。 ジャン・マレー作品には多分に、自分を投影している少年・青年像が多いということだ。 これは、晩年に書いた児童小説『ノエル』(日本では『赤毛のギャバン』として刊行)のための挿絵だが、もともと物語が自分と愛犬ムールークの実話を下敷きにしているせいか、主人公の少年は、ジャン・マレーの分身のような存在だ。 マレーは実生活でも、トルコやイタリアで出会った貧しい少年を養子にしようとして、周囲に反対されている。実際に養子にしたセルジュ・アヤラも、当時19歳の身寄りのないジプシーの青年で、本人の意志に反してジャン・マレーに売られようとしたのが2人の出会いだった。 こちらは実際に愛犬ムールークを肩にのせたジャン・マレー。 マレーの作品には、しばしば「非常によく似た男女」が登場する。 たとえば、『アダムとイブ』と題された油絵。 様式的には、新古典派+素朴派÷2といったところ。描かれた男女は、双子のようによく似ている。そして、男性は、大きな眼といい、たくましい肉体といい、どこか若い日のジャン・マレーと共通する。肌の表現はなまなましくはなく、どちらかというと陶器か何かのよう。裸体もまとわりつく蔦も、同じような質感で描かれている。 一方のジャン・コクトーは、憧れを追求した素描家だった。コクトーのドローイングには、ダルジュロス、水夫リシャールといった、過去に強く惹かれた男性たちの身体的特徴が常に表現されている。 『白書』で、少年の「私」は、全裸の青年の肉体の「黒々とした3点」に強烈な磁力を感じている。そして、コクトーが愛する人の寝顔を好んだことは、マレーの自伝からも、コクトーがラディゲ・デボルト・キル・マレー・デルミット全員の寝姿を描いていることからも明らかだ。 これは、そうしたコクトーの嗜好がはっきりと表われた作品。有機的な線で描かれた眠る青年の表情は神秘的で、崇高ですらある。それがたくましい肉体の「黒々とした3点」の生々しさと鮮やかな対比をなしている。 もう1つ、ジャン・コクトーが男性の肉体で好んだもの。それは当然のことながら、「神秘の隆起」。『白書』の「私」は、少年時代、使用人のその部分に惹かれて、「突進した」とある(困ったガキだ…)。 だから、その部分は、常に入念に描かれる。 このドローイングには、「ツーロン」とある。ツーロンは、『白書』で「私」が「魅惑のソドム」と呼んだ港町。コクトーが、24歳のジャン・マレーを最初の旅行に誘ったのもこの街だった。 一方のジャン・マレーのドローイングは、もっと装飾的だ。男性あるいは女性の肉体の性的な部分に着目している様子はほとんどなく、むしろ華やかな衣装のおりなす襞とか、背景のディテールの美しさに心惹かれているようだ。 ジャン・マレーの描く線は、コクトーのような有機的なメリハリには欠けるが、均一に力強く、緻密な様式美の中に、奇妙な「歪み」があり、それがなんともいえない魅力になっている。 これなど、ビアズリーの影響もあるように思う。そして、描かれた人物はどこか奇妙に歪んでいる。 多くの友人(愛人)と長期・短期に一緒に暮らしたジャン・コクトーと違い、ジャン・マレーが一緒に暮らしたといえるのは、ジャン・コクトーとアメリカ人バレエダンサーのジョルジュ・ライヒしかいない。それぞれ10年ずつと、スパンも長い。 この2人の特別な人との思い出を、ジャン・マレーは晩年まで大切にしている。 これはモンマルトルの自宅のアトリエでのジャン・マレー。 マレーがモンマルトルに引っ越してきたのは1980年、65歳のころ。壁にジョルジュの肖像画、イーゼルにコクトーの肖像画をのせている。いずれも自作の作品だ。 晩年のジャン・マレーは絵画・彫刻・陶芸制作に打ち込み、多くの友人と親しく交わっているが、コクトーやライヒとの関係のような密接なつながりを誰かともとうとした気配は一切ない。コクトーがそうだったように、マレーも人生の特に後半を「友情」に捧げた。そして、マレーは、そういう自分は「とても幸福で幸運な人間」だと、亡くなる5年前の著作『私のジャン・コクトー』で胸を張っている。 追記:ジャン・マレーとジャン・コクトーのツーロン旅行については、2008年3月26日からのエントリー参照。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.01 14:56:25
[Art (ジャン・コクトー&ジャン・マレー)] カテゴリの最新記事
|