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劇団四季のミュージカル『壁抜け男』で日本人にも注目された、モンマルトルのマルセル・エイメ広場の彫刻。
作品のタイトルは、ズバリ「壁抜け男」。モデルは原作者のマルセル・エイメ。そして彫刻家は誰あろう、ジャン・マレーその人。 ミュージカルにちなんで紹介されることが多いので誤解されているが、この彫刻をジャン・マレーが作ったのは1989年。ミシェル・ルグラン作曲のミュージカル『壁抜け男』の初演が1997年だから、ミュージカルより彫刻のほうが8歳も年上なのだ。ちなみに、エイメが小説『壁抜け男』を発表したのは1943年。 歩行の邪魔にしかならないような、東京の街に散らばる意味不明の「オブジェ」と違い、モンマルトルの瀟洒なアパルトマンの前の小さな広場に完璧に調和した彫刻作品。 このさりげなさがとてもいい。まさに街並に溶け込むアート。しかも、彫刻家もモデルもモンマルトルにゆかりの人物というのが、またニクイ。 現在開催中のジャン・マレー展では、この彫刻制作に取り組むジャン・マレーのスチール写真も飾られていた。 制作中の姿にも妙に華がある。彫刻家というより、彫刻家を演じている俳優の映画のワンシーンのようだ(苦笑)。 だが、呆れたことに、このジャン・マレー作品にはイタズラがされていた。爪がピンクに着色され、膝のところには白っぽいペンキがかかっていた。 昨年テルトル広場の近くの小さな広場が、「ジャン・マレー広場」と命名されたときも、広場名を示すプレートにわざわざスプレーでバツマークを入れた不届き者がいたが、同じ精神構造を持つ輩の犯行だろう。 ピンクのマニキュアと膝にかけた白っぽい液体なんて、いかにもホモフォビアが思いつきそうな最低の嫌がらせだ。 『ブロークバック・マウンテン』以降に、ヒース・レジャーが公けの場で、執拗に水鉄砲をかけられて嫌がらせされたことがあったが、こういう最低の行為に及ぶ連中の根底にあるものも同じ。 ジャン・マレーは、常にこうした攻撃にさらされてきた俳優だった。 たとえば、彼が「生きるギリシア彫刻」だった1944年。 ジャン・マレーは演出・衣装・舞台装置をすべて自分で手がけた古典劇『アンドロマック』を上演するのだが… 当時のパリは、ドイツ占領下。メディアを牛耳っていた対独協力派の妨害で、6日で上演禁止に追い込まれてしまう。このときもジャン・マレーの不道徳な「ホモ的芝居」は、新聞でいっせいに叩かれた。 だが、「本当の観衆」は好意的で、この芝居を高く評価していたのだ。 「真の観衆は喝采してくれた。しかし、芝居を見ている間ずっと彼らは鼻と目にハンカチをあてていなければならなかった。というのもこの機会に動員されたPPF(フランス愛国党)の党員たちが悪臭弾と催涙弾を客席に投げつけたからである。観衆の愛情をあれほど強く感じたことはない。私の評判を落とそうとする意図が明らかだっただけに、その愛はなおのこと強烈さを証拠立てていた」「しまいには親独義勇隊の連中が機関銃をかまえて押し込んできて、観衆の帰宅を妨害した」(ジャン・マレー著 『私のジャン・コクトー』東京創元社) このエピソードには、現在の日本にも通じる2つの側面がある。1つは特定の権力と結びついたメディアの偏向報道。もう1つは、よいものをよいと認め、讃えようとする一般のファンの意識の高さだ。 だが、欧米のホモフォビアの敵意(時には殺意)に満ちた嫌がらせと、日本での異質な者に対するイジメは似て非なるものだと思う。美輪明宏が昔、「お化け」と言われて石を投げつけられたのと、ジャン・マレーやヒース・レジャーに対するキリスト教の教義をタテにした社会からの攻撃は、一緒にすべきではない。 どうも、そのへんをこのごろの日本の若者(中には大して若くもないのもいるが)はゴッチャにしているのが気にかかる。日本は基本的にひとさまの性的な好みに対しては大らかで、欧米、特に英米ほど後進的ではないのだ。それなのに、英米のほうが進んでると勘違いして、「日本の社会から性的マイノリティへの差別と偏見をなくしたい」などとトンチンカンなことを言ってるソッチ系の青少年を見ると、「オイオイ、違うだろ」と言いたくなる。 『アンドロマック』でオレストに扮したジャン・マレーの写真は今回初めて見たが、これが物不足の占領下の舞台衣装かと、その豪華さ、質感の高さに感嘆する。胸のところでキッチリゆわえたラメ入りの布がひどくセクシーだ。 このときのマレーは決して経済的に豊かではなかったが、それでも自腹を切り、かつ友人から出資を募って『アンドロマック』の上演にこぎつけている。衣装制作に当たっては、布地を扱う店の店主が、若い役者集団のために、非常に安く布を譲ってくれたという。パリはよく、「冷たい街」などと言われるが、どっこい、こうした人情はどこよりも篤い街だったのだ。 モンマルトルの旧ジャン・マレー邸の近くには、開催中のジャン・マレー(L'e'ternel retour)展の宣伝も兼ねて、マレーの60年におよぶキャリアの中から選りすぐった写真がポスターになって飾られている。 ちょっとしたベンジャミン・バトンだ。 映画『ルイ・ブラス』時代のイケメン俳優・マレー(左)と赤いマフラーをなびかせた晩年のマレー(右)。マレーには赤が似合うと、コクトーも言っていた。 ジャン・マレーがフランス演劇界から尊敬されているのは、美男スターとして一世を風靡したということ以上に、その長いキャリアを通じてフランスの映画・舞台文化を支え続けたことだろう。 ジャン・マレー自身によれば、「入念に準備したにもかかわらず、期待したほどの成功は得られなかった」舞台も多かったというが、思った以上に評価されたものもまた、多かった。 舞台では、「ジャン・コクトーもの」以上に、古典劇(とくに悲劇)を得意としていた。 こちらは1978年に演じた、シェークスピアの『リア王』。猛禽類の爪のような、グロテスクぎりぎりの美を備えた、ユニークなフォルムの王冠が、いかにもジャン・マレーらしい。 こちらは、ご存知『オルフェ』。このナルシズムは確かに、ジャン・マレー演劇の1つの頂点。だが、ジャン・コクトーの『白書』を読めば、このシーンのルーツは、若いころコクトーがこっそり通いつめた、いかがわしい店の男娼の行為にあったことがわかる。コクトーはモロなエロを、そこはかとない芸術的エロスに昇華させるのが巧みだった。 こちらは、超美青年時代のジャン・マレー+ブロンドの荒川静香(似てないか?・苦笑)。 別にいかがわしいことは何もしていないのに、なぜかどこかしら妖しげなジャン・マレーのやること。 上の青年のパンツの布の量がヤケに少ないような… (ちなみに下の人がジャン・マレーね)。 いたいけな少年が「すげ~」ってな視線で見てる。いいのでしょうか(別に悪くはなかろう)。 追記:ナチ占領下のパリでの舞台『アンドロマック』をめぐる大騒ぎについては、2008年4月28日のエントリー参照。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.02 20:14:49
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