|
1938年4月、ジャン・コクトー作、ジャン・マレー主演の舞台『恐るべき親たち』がパリでセンセーショナルな成功をおさめると、コクトーとマレーは同棲生活に入る。2人が初めて一緒に住んだのはパリの一等地、マドレーヌ広場にあるアパルトマンだった。
「ジャン・コクトーと私の2人は、マドレーヌ広場19番地に住んでいた。それまでの数年間というもの、ジャンの住居はこの広場の周囲を廻っていた。まるで魔法使いの杖で示された、一定の神秘の場所を探求するかのように。 そこは『ポトマックの最期』にある謎のアパートだった。 私はその場所での彼が幸福だと考えていた。私は完全に幸福だった」 (ジャン・マレー自伝『美しき野獣』 石沢秀ニ訳 新潮社) その「神秘の場所」がココ。 お高いウマイモノ店の並ぶマドレーヌ寺院の西側、ブランドショップの立ち並ぶフォーブル・サントノレ通りにも近く、今でも観光客が行き交う場所だ。 1階にはソニーの店が入っている。ポータルをはさんで左側の店は高級トリュフを扱う店「メゾン・ドゥ・ラ・トリュフ」。 軽やかで繊細なレリーフに縁取られた門構えのアパルトマンは、見るからに家賃高そう(苦笑)。写真を撮ろうとカメラを出したら、住人らしき人が入っていった。 戦争が始まるまでの短い間、ここでコクトーはマレーのために詩を書き、マレーはコクトーをモデルに絵を描いて、熱い蜜月時代を過ごしている。だが、広いサロン、書斎、ダイニング、コクトーとマレーそれぞれの部屋をそなえた贅沢なアパルトマンは、当時の2人の経済力を超えていた。戦争が始まると、まもなくコクトーは家賃を滞納するようになり、結局はモンパンシエ通りのパレ・ロワイヤル庭園に面した、もっと小さなアパルトマンに2人の居を移している。 ドイツ軍による占領を経て、ジャン・マレーは『悲恋(永劫回帰)』『美女と野獣』でフランスを代表する美男スターとして一世を風靡する。コクトーとマレーがマドレーヌ広場で暮らしたのはその前の、わずか1年半にすぎないが、2人のプライベートな関係でいえば、一番幸福な時間だったかもしれない。 マドレーヌ広場のウマイモノ店の代表格といえば、今も昔も、やはりエディアール。場所は、旧コクトー&マレーのアパルトマンの隣。 入り口に、日本でよく見る「傘ぽん」があると思ったら… まぎれもない「傘ぽん」でした。思いっきり日本語! KASAPONとローマ字表記もあるけど、日本人以外には意味不明だよねぇ。 その隣には、ワインショップのチェーン店、ニコラ。 ニコラのドアには、これまた見慣れた「クロネコヤマト」のシールが… クラクラ… ここはどこなんだ? エディアールでも、ガレットを買ってみた。 13.4ユーロと値段は高め。ガレットとパレットが入っている。パレットはガレットを厚くしたようなお菓子。個人的にはパレットは好みではないので、ガレットだけのものが欲しかったのだが、カンの箱入りはすべてガレットとパレットの組み合わせだった。 ガレットは「サクサク系」と「しっとり系」があるが、エディアールは「サクサク」系。もちろん好き好きだが、ブランド名と値段のわりには味は平凡だと思う。ラ・メール・プーラールその他のブランドのほうが好き。 しかも、エディアールのこのカンの箱入りガレット&パレット、空港の免税店で山積みになっていた(がっくり!)。空港では13ユーロだったか14ユーロだったか、値段はハッキリ憶えていないが、街中と免税店の違いはどちらにしろ1ユーロぐらい。この手のお菓子、免税店のほうが必ず安いということもないのだが、持ち運びの手間を考えたら、エディアールのガレット&パレットに関しては、街中でわざわざ買ったのは、完全に失敗だった。 エディアールでは素直に、果物の砂糖漬けなど買ったほうがよいかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.11 20:04:43
[Art (ジャン・コクトー&ジャン・マレー)] カテゴリの最新記事
|