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カテゴリ:Movie(ジュード・ロウ)
<きのうから続く>
コクトーは自分の映画でマレーをやたら「失神」させている。『悲恋(永劫回帰)』では、マレー演じる主人公がヒロインと出会う乱闘シーンで失神、『双頭の鷲』では、女王の部屋に入ってきたところで失神、『ルイ・ブラス』でも女王に謁見した直後に失神、『恐るべき親たち』では何の脈略もなく一瞬気が遠くなって失神、『オルフェ』では鏡の前で失神。このように惚れ込んだ俳優に、同じイメージを繰り返し演じさせるというのは、ミンゲラにも共通している。 ミンゲラ作品では、必ず「ロウが子供のように眠り込み」「それを誰かがじっと見つめる」というシーンが入る。『リプリー』では、電車で眠り込んだディッキー(ロウ)をリプリーがじっと窺い、すりよって胸のあたりに顔をうずめる。『コールド・マウンテン』では、ヒロインがインマン(ロウ)と結ばれたあと、眠りこむ彼をじっと見つめ、傷ついた体をいたわるようにそっと触れる。このシーンはわざわざ時系列を逆にして挿入するという凝りよう。『こわれゆく世界の中で』では、ウィル(ロウ)と移民の未亡人が関係をもったあと、ウィルが無防備に眠りこけるシーンがかなり長く続く。この間にウィルは情事の写真を撮られてしまうのだが、そんなこととは知らず目を覚ますと未亡人と一緒に彼女の女友達が彼を見つめ、「ベッドに男がいるなんていいわね」などと言う。 『リプリー』と『コールド・マウンテン』では、ロウは死んでしまう役だが、観客は、死んだロウに彼を愛する人が寄り添うカットを真上から見ることになる。 このイメージは2作ともそっくり、というよりまったく同じと言っていい。海の上か雪の上かという違いだけだ。「海」にしろ「雪」にしろ、ミンゲラは必ず、物言わぬロウと最後の時間を2人きりで過ごす、彼を愛する人のために、他人・日常・俗世間といった夾雑物が一切入り込まないロマンチックな舞台を用意している。 リプリーは他に誰もいない海で、決して自分のものにならなかったディッキーを手にかけ、ついにつかの間、自分のものにする。エイダ(『コールド・マウンテン』のヒロイン)は、やっと戻ってきた愛しい男に、「もうどこにも行かないわね」と無言のままささやきかけているよう。 どうよ、この死に顔の端整さ。 コクトー作品でも、ジャン・マレーは最後に死んでしまう役がやたらと多い。そして、カメラはマレーの「彫刻のように」美しい死に顔を、舐めるようにアップで映し出す。こうしたミューズへの妄執は、ロウを繰り返し自作の映画に起用したミンゲラの視線にも共通する。 ジャン・マレーにとってのジャン・コクトーがジュード・ロウにとっては、アンソニー・ミンゲラだったかもしれない。ミンゲラがまだ50代の若さで亡くなってしまったというのは、観客にとっても俳優ロウにとっても打撃だ。いや、映画監督としてもっとも脂の乗り切った時期に共に仕事をしたのだから、2人のコラボレーションは「次も見たい」という観客の欲求を満たさぬままに、その可能性だけを残した『こわれゆく世界の中で』で終わって、それでよかったのかもしれないが。 ロウはThe Imaginarium of Doctor Parnassusでヒース・レジャーの代役の1人を演じるが、これについても不気味な符合がある。レジャーの急死で同作の撮影は一時頓挫する。結局レジャーが鏡を通り抜けたところで、ジョニー・ディップやロウに変身するという設定で撮影が続行されることになったのだが、この話はジャン・マレーが最晩年に書いた『私のジャン・コクトー』に出てくるあるエピソードと奇妙に重なるのだ。 メキシコでコクトーの『オルフェ』が上演されていたときのこと、地震が起きて、芝居が中断された。劇場が壊れてしまったのだ。劇場が修復され、『オルフェ』は再び上演されることになる。だが… 「突然、演出家が、芝居はもう続けられないと告げた。オルフェ役を演じていた俳優が鏡からふたたび出てくるまえ、舞台裏で倒れ、死んでしまったのだ」(『私のジャン・コクトー』より) 鏡通過はコクトーワールドでは「死」を意味する。ヒース・レジャーの映画での最後のシーンはまさに、レジャーが鏡を通過するところになった。続けられなくなった芝居を演出家(監督)は、代役を立てることで続けた。しかもその役を引き継ぐ役者のうちの1人が、コクトー作品でアメリカに進出したジュード・ロウとは。 その次になるのか、次の次になるのかわからないが、ロウはシャーロック・ホームズを主人公にした映画で、ワトソン博士を演じるという。ロウがワトソン博士と聞いて、「ナニかある」と直感したのだが、案の定(?)この作品、ホームズとワトソンの間にはゲイ的な雰囲気があり、部屋で取っ組み合ったり、1つのベッドを分け合ったりする仲だとか。 ホームズとワトソンがソッチ系!? ひと昔前なら「腐女子の妄想」で片付けられそうな設定だ。世の中どうなっているんでしょうか。 このところ出演作も多すぎて、かつてのカリスマ性がやや薄らいだ感もあるロウだが、しかし、ロウのワトソン役は斬新なものになる予感がする。公開が楽しみだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.18 01:28:43
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