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カテゴリ:Movie(ジュード・ロウ)
<きのうから続く>
『オスカー・ワイルド』は、文豪としての名声を欲しいままにしていたワイルドが、当時のイギリスでは犯罪だった同性愛にのめりこむことで社会的に葬られるまでの課程を描いている。 頻繁に引用されるワイルド自身が書いた言葉は、今の時代ではほとんど顧みられることのなくなった、「英語の美しさ」を思い出させてくれる。オスカー・ワイルドを演じるスティーブン・フライの台詞回しの巧みさも光っている。 そして、その言葉の魔力によって、ワイルドは大衆を、そして青年たちを魅了していく。 書き上げたばかりの『サロメ』の一部を暗誦するオスカー。ボジーが魅入られたように聞きほれる。 『オスカー・ワイルド』の脚本は、その後の展開を暗示する「文学的伏線」があちこちに張られている。 たとえば… 物語は、新大陸(アメリカ)の銀鉱山をオスカーが訪問するところから始まるのだが、井戸の底に堕ちるようにして坑道にたどりついたオスカーを待っていたのは、 たくましい肉体をもつ半裸の青年労働者たち。「地獄へ堕ちるのかと思ったが、天使のいる天国だった」と冗談めかして言うオスカーの台詞が、その後の展開をすべて暗示している。 アメリカから戻ったオスカーは結婚し、それからオスカーにとって「初めての男性」になる青年貴族ロビーに出会う。高い知性と教養をもった育ちのいいロビーは、だが、肉体的な魅力に欠けていた。 ロビーの次に出会うのが、『ドリアン・グレイの肖像』を書くきっかけになったジョン・グレイ。 ジョンは、まさしくアポロンのような肉体美の持ち主なのだが… 彼と初めて出会うことになるパーティに出かけるシーンで、オスカーが幼い息子に、 と言っている。 だがジョンは、大工の息子。素直で一途な性格なのだが、教養はない。オスカーの書いた戯曲が大成功を収めた場面でも、言葉につまりながら、 と褒めるのがやっと。 その直後に、オスカーは文豪オスカー・ワイルドを破滅させることになるボジー(アルフレッド・ダグラス卿)に出会うのだが、ボジーはジョンと違って、立て板に水のごとく、オスカーの新作への賛辞を口にする。ジョンとは対照的に生まれもよく、弁も立つ青年の鮮やかな登場に、オスカーも何のためらいもなく、「私の作品を理解するのは、経験豊かな若者」「(君を放校処分にするとは、大学の教授たちはなんとも)美を解さぬ連中だ」などと、ソッチ系オーラを全開。滑らかな初対面の会話の合間に、ボジーとオスカーは互いの眼と眼を見つめあい、ある種の合意を交わしている。 ジョンとボジーはルックスも対照的。長めの黒髪をなびかせている、たくましいジョンに対し、ボジーは短い金髪で、すらりとした体型。 2人の間に流れ始めた特別な空気を察して、ジョンが慌てて割り込んできたときにはすでに、ボジーとオスカーの運命は決まっている。 ジョンの敵対的な視線を軽々と無視して、オスカーに本名ではなく、愛称で呼んでくれと頼むボジー。 ボジーとオスカーの「不道徳な関係」に激怒し、葛藤と対立の果てに、オスカー・ワイルドを罪人にまで追い詰めることになるボジーの父親。 ボジーの父親は、当時の欺瞞に満ちたイギリス貴族社会の歪みを象徴するような存在。だが、結局は個人の才能は、たとえそれがどれほど優れた輝かしいものであっても、社会全体から歪んだ制裁を加えられると太刀打ちはできない。 イギリスで、今なおシェークスピアと人気を二分する稀代の文豪オスカー・ワイルドの作家生命は、同性愛事件で投獄されたことで終わってしまった。 <続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.05.09 08:34:19
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