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カテゴリ:Travel (インドネシア、バリ)
バリ島の記事が中途半端で終わっていたことに気づいた。そこでしばらくは書き落としたバリ島の思い出について。 まずは、真実の神バロン(善)と悪魔の女王ランダ(悪)の終わらない戦いを表現しているというバリ伝統舞踊の「バロン・ダンス」。 ガムランというバリ独特の楽器を使った音楽にのせて演じられる。 こちらがガムラン楽団。全体的にあまりヤル気なし(苦笑)。観光客相手の出し物というのは、どうしてもこういうことになる。 始まってすぐ、不思議なデジャヴュにとらわれた。獅子舞のようでもあり、歌舞伎のようでもある。音の響きや舞い方は「長崎くんち」にも似ているところがある。南蛮と長崎くんちの関係についてはよく言われるが、インドネシア方面の文化には、日本人はあまり関心を払っていない気がする。実はこのあたりの島々の文化は、今の日本人が思う以上に海伝いに日本に来ていたのかもしれないし、逆方面の交流もあったのかもしれない。 バロン・ダンスと並んで名高いケチャック・ダンスでもそうだが、バリ島の伝統舞踊では「猿」が重要な役割りを果たす。 猿はあるときは神のメッセンジャーであり、神の味方として悪とも戦う。 日本の記紀神話でも、皇孫ニニギ(のミコト)が天から降りてくる前に、その道であらかじめ待っていて先導役を務めたのが猿田彦大神だ。「猿」の文字が入っている。 また、記紀に見る海洋神話には、インドネシアに残る神話との共通性がすでに指摘されている。 言葉にも似たものがある。沖縄料理のチャンプルーは、インドネシア語(およびマレー語)のチャンプル(混ぜる)と同じ意味で使われている。 島づたいにインドネシアの文化が日本に来たとするなら、途中にフィリピンがあるはずだが、フィリピンにはこうした伝統文化の類似性は直接的には残っていない気がする。キリスト教化するうちに消えていってしまい、バリ島のような小さな島に、取り残されるようなカタチで残ったのかもしれない。 「神々の島(つまりは日本と同じく多神教)」バリの伝統に、なにかしら日本人が根源的な親近感を抱くのも、もしかしたらそういう理由かもしれない。 こうした化粧やしぐさ(見栄の切り方)も、歌舞伎を思わせる。現在のバロン・ダンスはもう、祭事の意味合いを失い、観光客のための出し物になってしまっているので、日本の歌舞伎の所作を後から取り入れた可能性もあるだろう。 こうした女性の踊りは、タイの伝統舞踊とも似ている。 バリの伝統舞踊に関しては、その起源が正確にはいつごろなのか、観光地化するにつれてどう変わっていったのか、あるいは変わらない部分はどこなのかといった民俗学的研究がまだまだ本格的になされていない(あるいはあったとしても日本で知られていない)のが残念だ。小さな島だから難しいのかもしれないが、これほど日本との古いつながりを色濃く感じさせる島も少ないのではないか。 日本は今、世界でも重要な地位にある国だが、太平洋の地図を見てみれば、大陸からぽつんと離れた辺境の島国で、インドネシアのほうがむしろ地理的なスケールは大きい。この2つの国、そしてバリ島という、インドネシアの島々の中でも小さな島に、日本の伝統文化と根を同じにするものが残されたとしても何も不思議なことはない。 バリ島を愛する日本人が多い謎が少しだけ解けた気がした。
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最終更新日
2011.07.14 11:05:43
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