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カテゴリ:Travel (インドネシア、バリ)
観光客の心をわしづかみにするケチャック・ダンス。その形式を現在見るように整えたのが、画家であり、音楽家であり、演出家でもあったヴァルター・シュピースだ。その生涯については、ウィキペディアなど読んでいただくとして・・・ (画像は過去にBS-TBSで放映されたシュピースの紹介番組より) 自身が画家でもあったシュピースの作品を見ると、素朴派に神秘主義が混ざったような独特な作風が目を惹く。 こちらなどは、暗闇の中から精霊がやってきて、現地の人々を驚かせ、怯えさせている。これがシュピースが見た「神秘の島、バリ」の夜の風景だったのだろう。 暗闇に浮かぶ精霊は女性のふくよかな肉体をもっているが、その姿は実に禍々しい。異様な迫力で観る者に迫ってくる。 この精霊の姿には、俵屋宗達の「風神雷神図」の影響もあるように思える。ヨーロッパの教養人であり、かつ東洋に興味を抱いていたシュピースが日本の中世の名画を知っていたとしても不思議はない。 (風神雷神図、一部) シュピースはバリの絵画や舞踏芸術の素晴らしさを西洋世界に紹介する役割を果たした。その意味で、「バリ芸術の父」と称えられている。 だが、そのことがバリ島の観光地化に拍車をかける。ウブドに住んでいたシュピースだが、急速な観光地化を嫌い、ウブド近郊のイサという田舎に引っ越したという。 こちらがイサのシュピースの家からの眺め・・・絶景。だが、ここは現在スイス人の個人所有になっており、見学はできない。 バリ島の評判を高めることに大いに貢献したシュピースだが、1900年代前半にすでに愛する島の観光地化を嘆いたとするなら、今のバリ島を見たら何と言うだろう。絶句してしまうかもしれない。 テレビでバリ島の観光業従事者が、「最近は日本人観光客の数が減った」と話しているのをたまたま聞いた。オーストラリア人に比べると、日本人は気前がいいそうだ。それでも最近、数が減ってきてしまったので、「もっと1人ひとりにお金を使ってもらえるようにしたい」と、かなりストレートなことを真面目に言っていて、ややガックリきてしまった。 公共交通機関が発達しておらず、初心者はガイド(もしくはガイド役を務めるタクシードライバー)なしで移動するのが難しい島だから、どうしても彼ら馴染みの土産店に連れて行かれることになる。 確かにいいものもあるが、売り込みが総じて激しく、かなり疲れてしまう。すべての店がそうではないが、工芸品を売る店などは、すぐに値引きをもちだして、「安くするから買って」という態度だ。ノルマでもあるのか、売り込みに必死な態度は気の毒にも思うが、心のどこかで、「それは違うでしょう」と声がする。 日本人はもう安いものには飽きている。安いだけのものならどこにだってあるのだ。バリでなくては買えないもの、そして質のいいものを買いたい。だが、工芸品のレベルは、明らかにチェンマイのが高い。手作りなのだろうが、観光客相手の大量生産臭がして、作品から職人の心意気が伝わってこない。バリ絵画もパリのモンマルトルの観光客相手の絵売りのように商業化・パターン化してしまっている。 それでも、シュピースが愛した神秘性は、緑したたる島の風土に、雨のあとにうっすらと流れてくる霧のような湿気に、民族衣装をまとって歩く現地の人々の後姿に、どことなく宿っているようにも思った。 日本が変わってしまってもやはり日本であるように、観光地化されても、やはり神々の島・バリはバリなのだろう。
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最終更新日
2011.07.19 01:43:05
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