有名なギリシア神話の逸話に「イカロスの墜落」がある。翼を得たイカロスが、父の忠告を無視をして太陽に向かって高みへ、高みへと飛んでいく。だが、太陽に近づきすぎたために翼を失い、墜落して命を落とすという逸話だ。これは西洋では、傲慢さへの戒めとして語られる。
だが、そのイカロスのイメージを完全に真逆にして再構築した詩人がいる。西洋世界の伝統のくびきの外で育った日本人、片岡輝だ。
西洋的常識の世界では、自分の力を過信した傲慢さから悲劇的な死を遂げたと解釈される存在を、彼は、誰も目指したことのない高みに到達しようとした「鉄の勇気」をもつ存在へと作り変えた。それが『勇気一つを共にして』だ。
♪昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根(はね)
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして
丘はぐんぐん遠ざかり
下に広がる青い海
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
勇気一つを友にして
必ずしも頑強とは言えない身体で、壊れやすい足を奮い立たせながら、4Aという人類未踏のジャンプに挑み続けた羽生結弦。選手生命が短いことで知られるフィギュアスケートで、五輪二連覇という偉業中の偉業を成し遂げながら、さらなる高みを目指して現役を続けた羽生結弦。
北京五輪でメダルを逃した彼を見て、それが完成してもいないジャンプに固執したがための「墜落」だと冷ややかに見た人も少なからずいたことは承知している。
ただでさえ恐怖をともなう前向き踏切の、足に凄まじい負担がかかる4回転半のジャンプ。下手をしたら二度と滑れなくなる怪我を負うかもしれない。たった一瞬で。
五輪二連覇を成し遂げ、輝かしい栄光を手にしたまま引退することもできた羽生結弦が、そんなリスキーなことをする必要はなかったのだ。常識から考えれば。
その常識を自らの意思で一蹴し、人類未踏のジャンプの完成、その先にあるさらなる栄光を目指して苛酷な練習を重ねた羽生結弦。それはまさに「勇気一つを友にして」高みへ飛翔しようとした、日本生まれのイカロスだったのだという気がしてならない。
だから、片岡輝が作り上げた新たなイカロスの歌のエンディングを、羽生結弦のあとに続くスケーターたちに、そして、何かをやるべきか、やめるべきか、常に迷っている市井の人々に捧げたい。
ぼくらはイカロスの
鉄の勇気をうけついで
明日(あした)へ向かい飛びたった
ぼくらは強く生きて行く
勇気一つを友にして