昨日はハローワーク弘前での失業認定日。生まれてこのかた失業なんてのには、とんと縁が無かった私である。社会の仕組みを考える、社会のあり方を実務として体験しているのである。認定日ってのも昔からあったのかしら?不正受給が昨今増加傾向にあると聞く。「ちゃんと失業してるの?」なんて昔から言ってたのかしらって思う。失業している人は必死で生活の糧を探さねば生きていけない。勿論、社会人としてでの話である。家族を持つ者にしたら、家族全員のためにでもあるのだ。
そう考えると私は不遇なわけではない。辞めたいと思って定年退職をしたのである。この定年の基準も65歳までになったようだ。今まで希望者は随時契約社員として65歳まで働ける準備期間だったようで、その狭間の中に私は身を置いていたのである。
で、月に二回はローワークに行って就労意欲がある事を示さねばならないのだ。これを就職活動と呼ぶらしいが、私のように定年退職しているような年齢層も結構来ている。勿論必死で探している若者が大半なのだが。この認定日の決められた時間に出向かねば、翌月の失業給付は受けられない。
ん?何で?私が40年間積み重ねて来た失業保険は何のためだったの?全額返して欲しいものである。そのためのものではないようである。不遇なサラリーマンに対する相互扶助みないなのである。とすれば、国が介在していないではないか!これもまた不可解な話である。
厚生年金にしたって同じである。ましてや官僚の金の如くの錯覚による不正が現在の改悪法になっていて、全ての国民に負担を強いられている。あらま洗濯機が終了のアラーム。中止しましょうかね!