テーマ:生きる!(2)
カテゴリ:生きる
ヴィクトール・E・フランクルは、ナティスの死の強制収容所「アウシュビッツ」から生還した精神科医です。絶望的な状況の下、生死の淵を自ら経験した彼の言葉は、ズッシリと重く私たちの心に響くものがあります。
終戦直後、強制収容所から生き帰った彼のメッセージは、 「人間は、あらゆることにもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命下にあったとしても、“人生にイエスと言う”ことができる」 という答えでした。 強制収容所でユダヤ人が最も恐れていた人間はだれだと思いますか? これが今日の問です。 ドイツ、ナチスの鬼将校でしょうか。 それとも、彼らを取り巻く一兵卒。 あるいは、ガス室送りを判断するドクター。 実は、彼らが一番恐れていたのは、「カポー」と呼ばれる同じユダヤ人だったのです。 カポーは、ユダヤ人を監視するために収容されたユダヤ人の中から選ばれた者達でした。 カポーは、自分の身を守るために、進んで同じ仲間を告発し、殴り、虐待を繰り返しました。飢えに苦しむ者達の前で、誇示するかのように(彼らには充分に与えられた)食事をしたといいます。(そのいう行為に適したものだけがカポーに選ばれたのであり、普通の囚人を‘悪意’を持って苦しめたようです。) 一方、ナチスの親衛隊である収容所所長の中にも、自分のポケットから定期的にお金を費やして、秘密裏にユダヤ人たちのために薬を調達していた(バレたら、彼も罰せられるにもかかわらず)者もいたといいます。 ほとんどの強制収容者が死んでいく地獄のような状況の中で、フランクルが学んだものは、 「・・・すべては、その人がどういう人間であるかにかかっていることを、私たちは学んだのです。最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか‘だけ’だったのです。なんといっても、そうです!強制収容所の体験の中でも、その人がどんな人間であるかがやはり問題であり続けたのです。・・・最後の最後まで問題であり続けたのは、人間でした。‘裸の’人間でした。・・・」 私たちには様々な出来事が降りかかります。それらは、決して楽しく思えることばかりではありません。むしろ、辛いこと、悲しいこと、心が傷つくことばかりです。しかし、たとえどんな状況であろうとも、そこで問われているのは私たち人間自身なのです。自分以外の何ものでもありません。 「どんな時にも、人生には意味がある。偶然の出来事は何一つない。」 アウシュビッツを生き抜いたフランクルが、私たちに残した、厳しくも、心温かいメッセージです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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