カテゴリ:生きる
私は、嫌いなタイプの人間というのが、あまりない。
あまりとしたのは、よく考えるといなくもないからだが・・・。 自分中心で、周りのことを考えない行動を平気でとれる人間は大嫌いだ。 昨日、一人でもつ焼きのお店に入った。 さすが人気店だけあって、店内は人でごった返していた。 運良く、1つだけ席が空いていて、窮屈な人と人との間に割り入ることができた。 ちなみに、お店は小岩にある「大竹」というもつ焼き屋だが、 とてつもなくおいしかった!(もつ焼きの“王様”という称号を授け給わす。) そして、安かった! 遠いけど、また行くぞ~! チューハイを飲みながら、たん塩やなんこつをがぶついていると、隣のおっさんが話しかけてきた。 とび職をしているようだ。 (ちなみに、このお店、普通のサラリーマンの比率は極めて少ない) それから、既に出来上がっているとびのおっさんと・・・ 確か、「ここで隣になったのも何かの出会い」という話から始まり、 途中、「あんたの顔も、俺に似てイカスネ~」が挟まり、 「喧嘩はいいかげんな気持ちでするな」ということを教わって、終わった。 帰り際、今日はよかった~と、お礼を言われた。(どういたしまして) ダブダブのズボンを穿いた、ごっついおっさんだったけど・・・、 相性がよかったかな! でも、以前の自分だったら、こんな風に楽しく過ごせなかったと思う。 相性って、確かにあるだろう。 けれど、それを言う前に、 自分の中に、どこか相手を斜に構えて見るこころが、少しでもなかったか? 先に、それを見つめなくてはいけないのだろう。 相性という言葉の裏にある、もう一つの真実。 それは、 「相手のこころは鏡となって、自分のこころを映し出す。」 このことを、私たちは深く自分に言い聞かせていかなければならないのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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