佳子さまの素晴らしき御言葉
藻緯羅が皇室の日常に関わる日記を書くのは初めて。佳子さま20歳の会見での言葉が素晴らしかったので。それは...===基本的には、自分が関心を持っているかどうかというよりも、頂いた仕事を一つ一つ大切にしながら取り組んでいくべきだと考えております。===昨今の教育では、「やりたい仕事を探して取り組む」ということを教えられる。「やりたくないことはやらなくていい」という構えを教えてしまっている。藻緯羅は、この方向は誤っていると考えている。藻緯羅は、皇室の方々の行動は、日本国民の「道標」になっていると考えるので、先のお言葉には、素晴らしさを感じるのである。佳子さま誕生日記者会見の全文↓http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20141228-OYT1T50043.html因みに、藻緯羅の「仕事」は「頂いたもの」から始まった。1970年前半までは、大学生の就職斡旋は、担当の指導教官の「仕事」であった。教官の方針で、手法は様々であったが、多くは、・教官が学生毎にメニューを並べる(頂いた仕事)・学生は、メニューから希望の会社をピックアップ・学生間で競合した場合は教官が調整するといった手順だから、まさに「頂いた仕事」であった。就職試験に「落ちる」ということは、まずなかった。・会社が落としたい学生には教官はメニューを提示しない。という不文律があるから、教官も真剣勝負である。学生の健康や生活信条なども理解している必要がある。会社も真剣勝負である。欲しい人材像を伝える必要がある。・会社は受験した学生を簡単には落とせない。さしたる理由も無く落とせば教官との関係に問題が生じる。この関係の強さは、「教官と会社」によって様々である。極めて緊密なのもあれば、今とさほど変わらないのもあった。まさに、ケースバイケースであった。もちろん、学生は断ることもできたし、希望する会社を教官に伝えて、相談することも推奨されていたが、「基本的」には、上記の不文律があった。いわゆる「指定校制」である。藻緯羅は、少ないメニューを断り続け、最後のメニューは、某TV放送局であったが、それも断り、大学院を受験したが「失敗」。今でいう、フリーターかニート候補生になってしまった。土壇場で、「研究生」として残れることになったが...新設校を再受験して、無事、大学院生に落ち着いた。2年後、再び、就職戦線に。メニューから選んだら、競合するところとなり、相談の結果、上京することになった次第。入社してから知ったのだが、我が会社は、サラリーマンの最後の地と言われていた。締め付けが緩く、家族的な社風なので、ここで勤まらなければ、サラリーマンは無理!というわけで「最後の地」というわけである。早期退職したものの、実際、そうなってしまった。「頂いた会社」が、生涯の会社となったわけである。[楽天市場]楽天ブックス佳子さま 世界中を魅了した美しいお姿 [ 別冊宝島編集部 ]1,100円