テーマ:介護・看護・喪失(5316)
カテゴリ:父の死
あまりにあっけなく死んでしまったので
気が抜けました。 介護をこれから何十年も続けるんだという覚悟は なんとなく出来つつあったのに 死に対する覚悟は何一つ出来ていませんでした。 最初の日、一度着替え等を取りに行こうと帰宅し 駆けつけた妹と一緒に病院へ行ったとき 父は目を覚ましていました。 また眠らされる処置をしていましたが 呼吸器の付いた口で何か話そうとし、 手も握り返していました。 この時、私も妹も元気になって帰ってくるのだという事を 疑いもしませんでした。 あの傲慢でわがままでいかにも長生きしそうな父が 死ぬなんて考えもしませんでした。 亡くなって家に帰るとき外は土砂降りでした。 だから見ていなかったけれど 今朝、月を見たら三日月だったので 人が亡くなるのは新月の時が多いという言葉を なんとなく思い出しました。 家ではいつものベッドに寝かせてもらいました。 妹は葬儀会社の霊安室にと言っていましたが 私はやっぱり一度は自宅に帰してあげたかったので。 そこからは不思議なタイミングで物事が進みました。 市民でない父が横浜で斎場の予約を取るのは かなり待たなくてはならないそうです。 しかし、たまたま翌日に取る事が出来ました。 棺おけを運ぶ人数が足りないかと思われましたが 妹の彼がたまたま連休で駆けつけてくれたので これも大丈夫でした。 そもそも名古屋の妹は連絡待ちをするつもりだったのが 仕事中の使用電話を立ち聞きされ内容を把握した 上司が「すぐに行きなさい」と許可してくれて 仕事場から直行していたのでした。 私は霊とかは信じない方ですが やはり何かの力が働いたのかもと思いました。 骨になった父は・・・リウマチのせいかボロボロで 手足の先は形がなく骨壷も余るほどでした。 7月に手術した首のボルトは入れませんでした。 もう必要ないのですから。 自分の足で歩き、自分の手で自由に物をつかみ 開かなかった口を大きく開けて 大好きな甘いものや硬いおせんべいを 食べていることでしょう。 介護中、亡くなるという事は当たり前にあることだと思います。 私にもやはり多少の後悔はあります。 でも、これから直面する方に伝えたい。 後悔は付き物だけど自分を責めないであげてください。 その時の自分に出来る精一杯のことを しているはずなんですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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