カテゴリ:父の死
メールで様子を伝えると電話がかかってきて
「今夜行く」と言うのでまだ意識もあった父のことを 思い出し「来なくてもいいよ」と返事をしました。 たまたま通りかかった上司に電話の内容を聞かれ 「すぐに行きなさい」と言われ 会社からそのまま新幹線に乗り横浜までやってきました。 この辺り記憶が混同してよく覚えていないのですが 妹は意識のある父にはあえなかったように思います。 多分、鎮痛剤も使えず意識のない父の姿しか見ていないでしょう。 いわゆる「死に目」のようなものには間に合いましたが 離れているとはこういう事なのですね。 残念です。 それでも妹は「虫の知らせ」というものに敏感なのかもしれません。 母が亡くなった時も名古屋に住んでいましたが たまたま別の用で沼津にいました。 亡くなったのはちょうど名古屋に帰ろうとした日でした。 妹の彼も父には一度会ったきりなのに 長野から駆けつけてくれました。 平日休みの彼は偶然次の日から連休だったのですが 仕事を切り上げて来たのです。 父の存命中も何度も私に励ましのメールをくれました。 妹ももちろん私の愚痴をよく聞いてくれたし 自分のお給料の中から自分も遊びたいでしょうに いくらかのお金を送ってくれたりしました。 父の食費や雑費でけっこうかかっていたので とても助かっていました。 壊れる絆もあればこうして強く結びつく絆もあり・・・ 終わってみれば辛い事ばかりではなかったと思います。 もちろん、これは私が介護から解放されたからであり 現在も頑張っている方は本当に辛い事も多々あるでしょう。 開放されるのは「良かったね」とは言いづらいけれど みんなが円満でいられますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年12月09日 13時45分15秒
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