カテゴリ:スピリチュアルな考察。
お釈迦さまの教えはひと言でいってしまえば、
自利と他利のただ二利に尽きる。 釈教は、一言之を蔽えば、唯二利に在り 『御請来目録』 空海さんは『御請来目録』のなかで、「お釈迦さまの教えは、お経の本でも何千巻とあるが、つまるところは自分の利益を求めることと、他人の利益を願うことの二つに尽きる」といわれています。 空海さんはそのとき、「お釈迦さまの教えを密教的に解釈するとひじょうによくわかる。自分の利益と他人の利益は相反するようだが、”自利他利”といって、これを一致させるのが密教の目的なのだ」と主張されたのです。 『空海!感動の言葉』中経の文庫(株)中経出版 大栗道栄、著 2011年より ☆ 「他利」だけで無くて、良かったんですね。わたしは今まで、知りませんでした。仏教はみんな「他利」とばかり言っているものだと、思っていました。 両方で良いのだとする弘法大師空海の教えは、私たちに大きな開放をもたらすように思います。「自利」もあってよいのだとすると、「わぁい!そっかぁ!」と、生き生きとお金も稼いで、生きて行っても良くなりますね。 だけど「他利」もその一方であるわけなので、他を顧みないくらいまで「自利」に走ってしまうのは、この言葉からは外れることになります。 すばらしいな、自利と他利。 ☆ 自分の中にしまい込んでいた「忘個利他」という言葉は、気になったので調べてみたら、天台宗 最澄の教えのようです。 この二つは、対極のようでいながら、頂上は実は一つ。山登りの道はひとつではない、ということなのだと思います。 ☆ 上に引用した文章をよくよく見てみると、「自利他利」という言葉は、もともとの空海の言葉としては、どうやら「自分と他人」と言っているとは限らないのかも知れません。 わたしたちにそれを紹介して教えてくださっているこの本の著者のお坊さんが、「二利」という言葉を解釈して「自利他利」とし、わかりやすく「自分と他人」とお話しされていることに気がつきます。 なので、「自利他利」という言葉を、いろいろとすごく広く広げてみて、考えてみたりしてみました。 たとえば、「自国の利益」と「他国の利益」とかは、最近のTPPの問題とも、直結しますし、あと、「自」というのを「人間」として、「他」というのを「地球環境」としたら、どうだろうか?とか。 ☆ 「自利」が認められると、「あ、私ここに居ていいのね」とか「私ここで利を求めてもいいのね」と、自分が存在していること、そして経済活動もしていることを肯定されるので、すっごくホッとしたという感じがしました。 ずっと前にテレビで、「少し前の仏教国チベットでは、商売をしてお金を設けることは悪いこととされていた。」というのを視たりして、それが私の中でずっと生きていたような気がします。 ☆ だけど、「利」というものをたとえば「商売」という経済活動に置き換えてみたとすると、それはよくよく見てみたら、「他利」をしっかりと提供できる商売に豊かさが集まることがわかります。 「自利他利」の歯車が回ることで、豊かさの共有ができる道すじも探して行ける、という、今まで思いもよらなかった道が見えてきて、とてもびっくりしています。 ☆アトリエえんどうまめのHPは、《こちら》です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2018.10.03 09:44:51
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