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♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2013.04.22
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西新宿にある熊野神社のご祭神は、スサノヲイザナミです。
http://12so-kumanojinja.jp/page-03.html

この二人のセット、というのもめずらしいと思い、なんでだろうか?と思いました。



古事記の中では、スサノヲのおかあさんがイザナミです。なのでこの神社では、母と息子が一緒にいることになります。

スサノヲは、イザナミを黄泉の国に訪ねて帰って来たイザナキが生んでいますが、母はイザナミで、そのお母さん恋しさに駄々をこねて、イザナキを怒らせたとされています。

そして、いろいろの経過ののちに、スサノヲはクシナダヒメと結婚するのですが、そこには留まらずに、イザナミの居る「根の国」に行ったとされています。



きのう神話研究会で取り上げた「スサノヲとオオクニヌシ」のおはなしは、その「根の国」が舞台です。

そこには、大切な役割を果たす動物として「ネズミ」が出てきます。

(あ、だから「ネズミ」は「ネズミ」と呼ばれているのかな?と、思いました。「根」の国に居る動物だから、「根住み」で、「ネズミ」なのかもですね。)



「根の国」は、IC・4ハウス的ですね。ということにも、なりました。


130422_103209.jpg


この図は『神話と日本人の心』河合隼雄、著 岩波書店 2003年の、P.217にあるものです。

(図に青色のペンでAと書き加えたのは私ですが、)このAからスサノヲの物語はスタートします。図の中で、点線であらわされているのは、オオクニヌシの軌跡です。

このずは、そのまま、占星術のハウスシステムに対応されると考えることも、可能かと思いました。



また、この図の中の、「アマテラスは、タロットの2.女教皇的で、イザナミは、3.女帝的なのですか」?という、質問が出たりしました。

このことについても、ある意味そういうことはできるのではないかと、私は思いますが、みなさんはいかがですか?

☆ 

そして、最初に取り上げた、熊野神社ですが、「なんでスサノヲとイザナミを祭った神社が、水瓶座地区にあるのだろうか?」ということも、講座の途中では出てきたりもしたのですが、なかなかこの答えは、すぐには見つけにくいです。

水瓶座地区根の国の共通点は、私は現時点では、見つけられてはいません。

ただ、熊野神社のHPには、その由来は次のように書かれています。


「十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます(一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が、天文・永禄年間(1532~69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます)。

 鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。

 九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。

(中略)

 明治維新後は、現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。」




水瓶座地区に典型的に存在しているものの歴史を、詳しくひも解いて行くと、そこに典型的な水瓶座のお話を見つけることができたりします。(例、中村屋のカリーなど)

なので、このあたりのことについては、日本の歴史に対する知識が必要になるので、これから書くことは、今のわたしの推測になってしまうのですが。

このHPに書かれている歴史の「鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。」というあたりは、水瓶座精神にあふれていたのかもなぁ?と、思わなくもありません。

この、鈴木家の人々は、紀州というローカルな場所から飛び出して、当時としては広い世界でもあった「日本」の中を駆け巡ったわけですので、その流れは水瓶座的と言えると思います。

そして、「鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠った」とありますが、古事記では、オオクニヌシはスサノヲの住む根の国には「木国(きのくに)」つまり紀州から渡っていますので、そういうことが関係しているのかも知れません。



オオクニヌシスサノヲは、この二人をそれぞれの鏡として、映し出して考えてみることで、よりその個性が明確に見えてくるということがあるのだと、思いました。

オオクニヌシの存在から、スサノヲの存在を見た時に、どうして高天原で、あれほどのわけのわからない暴れ方をしたのか?が、ちょっとわかったようにも、思えました。

わたしも、天国のようなまったく翳りの無い光だけの世界に行ったら、あんがい、スサノヲみたいな影の部分が、クローズアップされちゃうのかも知れないな、と思ったりもしました。



オオクニヌシはこのあと、地上の楽園をつくって行くわけですが、古事記の中には、そのようなことが描かれていることにあらためて気がつきまして、わたしとしてはとても驚いていたりもしています。

仏教が「解脱」を解き、もうこの世界には戻らないという、いわば「あがりの人生」を示しているのに対して、古事記は「ここはとっても良いところなので、ずっとここに居るよ。」というような、それとは対称的な、地上の楽園を描いているようにも、思えたからです。

来月の、神話研究会では、現代日本人の、たとえばサラリーマンの鑑的な、オオクニヌシの姿に触れてゆきたいと思います。





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Last updated  2018.08.06 17:00:55
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