カテゴリ:アート リーディング(神話研究)
ネイティブという表現で良いのかな?
きのうEテレの「地球ドラマチック」という番組で、「アジアの人々はどこから来たのか」というのをやっていて、そこにトナカイを飼育しながら狩猟している人々が出てきました。 その前は、FBでさいきん「いいね」をした「ナガランド」のページで、首狩り族の今を生きる人々の映像が、アップされていました。 http://www.behance.net/gallery/the-last-head-hunters-konyak-tribe-warrior/8009669 あの人たちは、首狩り族の末裔で良いのかどうかはわからないのだけど、というのも英文なので。英語で、たしかヘッドハンターと書かれていたように、思いました。 あと、首から、頭がい骨をかたどった銀色の装飾を下げていたし。 違っていたらごめんなさい、なのだけど。 いずれにしても、近代以降の私たちが喪失してしまった、人間としての「ほこり」のようなものが、骨の髄にまで浸みこんでいるような人たちだ、と、思いました。 ☆ これら、ネイティブな人々の生活の映像を目にする機会が増えたことは、わたし的には、創世神話とのすり合わせで、とても興味深い印象を得ることが、できています。 言葉としての神話が残されるそのずっと前、大地母神的な女性が中心となっていた長い時代が続いていたことは、日本においても、海外においても、最近の神話研究をしている人たちは、みんな認めていることだったのだ。 ということがわかってきて、おもしろいなぁ!と思っているのですが。 きのうのトナカイを狩猟している集団でも、その中心になって「律」を保持していたのは、女性でした。それも、お年寄りではない、女性でした。 それを見ての私の印象なのですが、「勘」のようなもの、それも研ぎ澄まされた、が、必要とされているのだ、と思いました。 大地の、風の、においを感じるような、そんな、「勘」です。これがないと、トナカイが居る場所を当てられないし、そうなると、集団は生きては行けません。 これが必要とされた生き方の中では、それは「呪術性」と容易に結びつきやすかったはずだと、思いました。 人間が持てる限りのアンテナを研ぎ澄ませて、大地と同調しながら、生きていた感じでしょうか。 ☆ ナガランドの写真では、男の人達しか写ってなかったのですが、薄暗い家(床は、土間になっている)の中心に、囲炉裏のような「火」の場所がありました。 この映像を見るて、はじめて、家や洞窟の中で、「火」を絶やさず守ることの重要性が、頭だけでなく理解できたように思えました。 日々の暮らしをすることと、火を守ることは、切り離すことのできない大切なことだったのでしょうね。 ここから、「かまどの神さま」が生まれてきたことでしょう。 ☆ ギリシア神話の創世記のあたりでは、大地母神的世界から、家父長制への移行が、繰り返し繰り返し描かれています。 このあたりのことは、わたしという個人の、という意味においても、人類の、という意味においても、とても関心があります。 それは、深い深いルーツの中の、大きな大きなテーマの記憶が、今という時間の中に、再生されてくる感じでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.06 15:13:44
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