カテゴリ:スピリチュアルなつぶやき。
けさ、TVの日曜美術館で、猪熊弦一郎が取り上げられているのを見て、ひさびさに、元気がドワーッとチャージされて満タンになる感覚を、覚えました。
そうだそうだ。良い芸術は、触れると、たましいとたましいがつながって、良質なエネルギーチャージが、起きるんだっけ、と、ここ最近は、忘れていたことを、思い出すことができました。 ☆ それで、過去の記憶の中から、猪熊弦一郎さんとゆかりのあることが、浮上してきて。それをこうして、書いてみたくなりました。 ☆ 30代の私は、猪熊弦一郎や脇田和や船越保武などにあこがれて、新制作という公募展に絵を出品していたのですが、当時は「厳選の新制作」と言われていたくらいに、入選するのがとても難しい会派でした。 そのころのわたしは、主婦として生活していましたが、子どもたちを保育園に預け、昼間は仕事をして、夜のわずかな時間で、絵の制作をしていたので、睡眠時間は毎日4時間くらいだったと思います。 でも、念願かなって、ようやく4年目にして、新制作初入選を果たすことができました。 ☆ そうしたら、しばらくして、新制作から、猪熊弦一郎の「何かの」パーティーをするので、という招待状が、届きました。 「何かの」というのは、ちょっとよく覚えていません。 ひょっとしたら、「祝90歳の」だったかもしれません。 時代的にもバブルの頃で、招待状もとても立派なものだったように覚えています。 わたしはとっても緊張して、「ど、どうしよう」と、思いました。 まわりが、超華やかな時代の時だけに、何を着て行って良いかがわからなくて、出席を断念してしまいました。 そうしたら、そのパーティーのあとで、檀ふみさんが、新聞のコラムに「そのパーティーに出席して、素晴らしかった」と感想を書かれていたのを、目にしたのですが。 わたしが、びっくりしたのは、猪熊弦一郎は、出席者全員に、そろいのはっぴを配ったのだそうです! なんて、すてきな、ことなんだろう!そう思いました。 みんなが、はっぴを着て、パーティーに参加したら、何を着ているなんて、気にしないで、みんながひとつになって、楽しむことが、できるのです! わたしは、猪熊弦一郎の、心配りのやさしさに、触れたように思えました。 ☆ だけど、わたしは、猪熊弦一郎本人に会うことは、一度もないまま、まもなく猪熊弦一郎は、亡くなります。 連絡が来たので、青山でやったお葬式には、出席しました。 ☆ その次の年、新制作はまた落選してしまいました。 失意のどん底みたいな状態で、新制作展の会場を見て歩いていたら、猪熊弦一郎コーナーができていて、生前の絵が何枚か展示されていました。 そこに一歩、足を踏み入れたら、ほんとうに、声が聞こえたのです。 「そんなに、がっかりしては、いけませんねぇ。もっとしゃんとして、胸を張って!」 自分の内側の空間に、猪熊弦一郎の声は、はっきりと大きく響いていました。 とても不思議な体験でした。 ☆ けさのテレビで、猪熊弦一郎が制作している最中の映像も流れていましたが、根底の生命力が、何の引っかかりもなく、ダイレクトに画面の上にあふれ出て行く様を、見ることができて、とてもうれしかったです。 それにしても、マチスに「君の絵は、うますぎる。」と言われたひとことで、それまでの築いた絵を壊し、ゼロから再生させて、自分オリジナルな絵画にたどり着くあたりの、スケールの大きさは、すごいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.05 16:37:10
[スピリチュアルなつぶやき。] カテゴリの最新記事
|