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♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2015.03.07
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おとといの夜、たまたまテレビで見た、長い長い氷の道についての番組が、たくさんのメッセージに満ち満ちていて。

霊的宇宙存在が居るとしたら、その形無い上位の存在たちが「今のわたしに」届けてくれた、プレゼントのようにさえ感じられたので、そのあたりのことを忘れないうちに、ここに書いておこうと思いました。



テレビで取り上げられていたのは、カナダの北のほうの湖の近くの街。

ちゃんとメモしていなかったので、うろ覚えなのだけど、たしか、イエローナイフという地名が出てきたりしていました。

そのあたりに、冬の間にだけ氷のハイウエイができるとのこと。


それはどうしてかというと、とても大きな湖が凍りついて、対岸の村とつながるから。

でも、その道を作って開通させる作業員をしている人たちも居て。その人たちが除雪したり、氷の厚さを測ったりして、少しずつ作るから、氷のハイウエイはできるということでした。総延長は、忘れてしまったのですが、かなりの長さでした。

その道が開通すると、ふだんは娯楽設備のない村人たちも、街に車で出かけられるようになります。


そこの村には、ネイティブな人たちが住んでいます。

見た目の感じは、日本人とあまり変わらない感じの人たちです。

その村には、もともと飲酒の習慣が無くて、だけどかつて初めてお酒がもたらされた時に、中毒者が相次いだので、そのことがあってから、いまだに禁酒の村なんだとか。

きっと季節にもよるのだろうけれど、湖が凍る季節には、3時くらいになると日没ということなので、きっと長い長い夜になるのでしょうね。

でも、映画館とかレストランとか、娯楽施設もなく、お酒も飲まない村人が、夜、何をしているかというと。


男の人たちが、集会所に集まって、おはじきを左右どちらの手に握っているかの、あてっこの戦いなのですが。

これが、どくとくの太鼓のリズムの中で繰り広げられていて、とっても真剣で、神聖な感じで、えんえんと親から子に伝えられてきた伝統に支えられていて、なおかつみんなでとっても盛り上がっていて、とても興味深かったです。


ひとつのおはじきが、右と左の手のどちらに握られているのかをあてる。ということは、昔、狩りで生計を立てていた村人にとっては、どこに獲物が居るかの、「かん」のようなものを研ぎ澄ますための、たいせつな能力のひとつだったのだとか。

わたしは、リモートビューイングの練習会に参加していたこともありましたが、まさに同じような能力だ!と思いました。透視する力とか、カンを鍛えるとか。ほんと、まさに、そんなかんじですね。



番組では、いわゆる引きこもりになっている末っ子の男の子と、そのお父さんも出てきました。まなざしが、痛いくらいに透き通った感じの、20歳前後の男の子でした。

お父さんは、村の人たちと行く、伝統的な魚の猟には、かならずこの末っ子も、連れて行くのだとか。

そういったお父さんの姿は、限りなく優しい姿に、わたしには見えました。

大自然の中で生きているお父さんが持つ、やさしさ。これは、近代化がすすむ中で、消えてしまったもののひとつのように、私には思えました。



氷のハイウエイが通ると、こういった素朴な自然と一緒に暮らしている村と、近代化された人間が作り出した街が、つながる、ということでもあるので、とてもいろいろなことを考えさせられました。

日本で言ったら、江戸時代が明治時代に切り替わる時とか、こういうことが起きたのだろうな、とか。

いやいや、縄文時代から弥生時代への移り変わりも、おおもとの意味的には共通しているのだろうな、とか。



大自然の中で、猟をしながら暮らしていた時。

その時は、獲物が捕れる捕れないが生死を分けるので、人はリモートビューイングの能力も鍛えたわけだけど。その延長線上には、一体化している自然のなかに、普遍としての神の姿を、見出していたのだろうな。


北極に良く行っていた友人のひとりは、前に、白クマと出会うと、「とっても、うれしいんだ。」と言っていました。それは、「あっ!白熊見いつけた、わぁい!」という、うれしさだけでは無くて、なにかこうごうしい神と出会ったような、そんな感覚なのだとか。

だから、まえに星野道夫さんは、白クマに襲われて、命を落とされてしまったわけですが。あれは、けっして不幸な死に方では無かったと思う。ということでした。



人は、いったいいつから、ひとりで生きるようになったのかな?と、考えました。

わたしはしょっちゅう、気がついたら、何でもかんでも、ひとりで頑張らなくちゃ!というスタイルの中に、よく、落ち込んでしまったりしています。

でも、わたしだけで無くて、自己責任の中で、個として生きているのが、私たち現代人の姿なのだと、あらためて思いました。



手に握ったおはじきの当てっこの先には、自然があって。
自然と神は、一体化していて。
そこでつながって生きていた時から。

時代が変わって。

人間が作り出した、社会や街ができて。
どんどんと、自然から、隔絶して行って。
人は個として生きるようになって。

だけど、このあとは、どうなるのかな?

どう変わって行くのかな?

人はふたたび、おおいなるものたちとのつながりを、取り戻したり、造り変えたり、して行くのかな?



最近わたしは、ふたたび、わたしたちは、見守られているのだなぁと、思うことも多くなってきています。

わたしは、少しずつ、おおいなるものたちとのつながりを、ちょうど良く、正しく、取り戻したいと、せつに願っているひとりなのだと思います。

姿が無い上位の存在が居るとしたら、その存在たちにお願いすることも、再び始まってきたので。



そういうこともあって、この番組は、

そこから、ひらひらと訪れた、プレゼントのひとつのように、思えたのでした。





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Last updated  2018.08.04 14:54:46
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