「プレシア」のお菓子でティータイム
今までも何度か書いて来ましたように、我が家はデザート好き。ちょくちょく買い物のついでに何かしらのデザートを買って来ては、食後にお茶しながらみんなで食べてます。何を買って来るかは全くその日の気分次第なのですけども、いちばん良く買って来るのが「モンテール」のお菓子。価格もお手頃で、クレープとかロールケーキとかのふわふわ系を良く買います。で、最近、良く買うようになったな~って感じるのが「プレシア」というメーカーのお菓子。カップに入ったミニケーキっぽいデザートを買うことが多いです。(ピンクのラベルの上のほう、"Plecia"と書いてあります。プリンの上にスポンジと生クリーム、そして3種のフルーツが載ったデザートでした)失礼ながら、まるで知らない会社だったのでちょっと検索してみたのですが(上場してたら優待目当てで買ってみようかな、なんていうのが最初の目的だったり)、本社は横浜で、設立が1994年という比較的新しい会社。で、今年の4月に「タカラブネ」の会社を買収・子会社化してて、現在は洋菓子を扱う会社としては店舗数日本一なんだって。その次が不二家やモロゾフなので、それらより多いらしい。いやいやいや、全然知りませんでした(←私が世間知らずなだけかも)。年間売上は「タカラブネ」買収前の数字で80億円とのこと。で、野球の話をするこのblogで何でこんな話をしているのかというと、プレシアの社長の藤木久三というかた。このかた、川崎で社会人野球の選手だったんだって。[記事]国内最大級 洋菓子チェーンに(流通業界ニュース)(2007/5/31)文中、「社会人野球の名門だった日本コロンビアに入社。遊撃手として9年間活躍」と書いてあります。へ~、そうなんだ。(コロ"ム"ビアが正しいようです)さっそく「60年史」をパラパラとめくってみますと、藤木選手は都市対抗にも3回出場(1963,1964,1967)。背番号1をつけてそれぞれの大会で主に三塁・二塁・遊撃を守ってほぼ全試合出場、チームもそれぞれベスト8・準優勝・ベスト8という好成績。当時の予選の仕組みとか代表枠とかは良く知りませんが、聞くところによると川崎市から1チームしか出られなかったみたいですね。他の年に川崎市代表として出場しているのはいすゞ自動車、東芝、三菱重工川崎(←タイプミスではありません)、川崎トキコなど(日本鋼管はまだ横浜市だったようです)。これらの強豪チームを相手に予選を勝ち抜くのはさぞ大変だっただろう、なーんて思うのは今の感覚であって、戦前から都市対抗に出ていた日本コロムビアが当時はいちばんの名門、出場回数も川崎市の中では圧倒的。◇第40回大会までの出場数(川崎市代表)日本コロムビア…16回いすゞ自動車…5回川崎トキコ…5回東芝…3回三菱重工川崎…1回全川崎…1回藤木選手はそんな名門チームでプレー、引退してからは野球をあきらめて一時は芸能界での仕事を経験(←それが社業だったのでしょうか)。後に独立してパンを作る会社を設立し一度は挫折、改めて「プレシア」を設立してここまで大きくしたということなんだって。野球部出身で会社に残って後に偉くなったかたというのは何人か知ってましたが、こうして全く違う分野で会社を興して大きくしてらっしゃるかたもたくさんいるんだろうな。何となくここの会社のお菓子にちょっと親しみが湧いて来たので書いてみました。