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テーマ:ニュース(100197)
カテゴリ:思う事・・・☆
何日か前のニュースになってしまうのですが・ちょっと気になったニュースだったので調べてみる事にしました。
スー・チーさん軟禁、半年延長 ミャンマー軍事政権は27日、アウン・サン・スー・チー国民民主連盟書記長(写真)に対する自宅軟禁を6カ月間延長することを決めた。今回の決定でスー・チーさんの軟禁は来年5月27日まで続くことになる(EPA=時事)18時37分更新 「アウンサンスーチー」名前は知っているけれど・どういう人かはあまりよくわかっていない。 そしていまだに軍事政権の国、ビルマ。 ビルマといえば そして・アウンサンスーチーの父・建国の父と崇められる「アウンサン将軍」 これくらいしか思いつかなかった。 いつか行ってみたい国でもあるし、ちょっと調べてみました☆ アウン・サン・スーチーとは・・・★ (Aung San Suu Kyi・1945年6月19日生) ミャンマー(ビルマ)の首都ヤンゴン(ラングーン)に生まれたミャンマーの非暴力民主化運動指導者である。 1991年ノーベル平和賞受賞。 *補足*ミャンマーとビルマの呼び方の違い 1989年に現在政権を握っている軍事政権は国名の英語表記を、Union of BurmaからUnion of Myanmarに改称した。 軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。 また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。 日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続ける社もある。 アウンサンスーチーやNCGUB(※1)など軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、『ワシントン・ポスト』などの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「ビルマ」の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは「ビルマ」とし、EUは「ビルマ」と「ミャンマー」を併記している。 ※1 NCGUB・・・ビルマ連邦国民連合政府。 アメリカ・メリーランド州のロックヴィル(Rockvill)を本拠地とするミャンマーの亡命政府。 現在の政府元首は、アウン・サン・スー・チーの従兄弟たるセイン・ウィン。) イギリスからの独立を主導したアウンサン将軍の娘。 1948年の独立を目前とした1947年7月に暗殺された同将軍は、「ビルマ建国の父」として今も敬愛を集めている。 1960年に母親のキンチーがインド大使に着任。 スーチーはインド大使であった母とともにインドに渡り高校・大学生活の一部をインドで過ごす。 デリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。 この時にインド建国の父、ガンディーについて学んだ。 *またまた補足・ガンディーとは・・・* インド建国の父であり、「スワラジ(非暴力)・スワデジ(不服従)」を提唱した。 この思想(彼自身の命名によりサッチャグラハ・真理の把持と名付けられた)はインドを独立させ、大英帝国を英連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。 特に彼に倣ったと表明している者にマーティン・ルーサー・キング、ダライ・ラマ14世等がいる。 性格的には自分に厳しく他人に対しては常に公平で寛大な態度で接したが、親族に対しても極端な禁欲を強いて反発を招くこともあったという。 またナチスのホロコーストに関し、ユダヤ人にも一貫して非暴力・不服従を説いたとされる。 ちなみに日本では彼を「平和のヒーロー」とする傾向が強いものの、 彼は実際には差別の根源であるカースト制度そのものを否定することはしなかったという。 1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒュー・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取する。 スーチーはオックスフォード大学在学中もビルマの民族衣装ロンジー(巻スカート)をはいていたという。 なお1990年には名誉フェローに選出された。ロンドン大学の東洋アフリカ研究所 (SOAS) で研究助手を務めた後、1969-71年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。 1972年にチベット研究者のイギリス人マイケル・アリス博士と結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。 息子二人はイギリスで生まれていますが、2人ともビルマ国籍を取得している。 ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。 その後1985-86年には京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、父アウンサン将軍についての歴史研究を進める。 来日は当時小学生だった次男とともにしており、次男は京都の公立学校に通ったそう。 日本滞在中に 「ビルマの竪琴」を観たそう。 感想は・・・「中井貴一ってハンサムね」だったそう。。。。 たしかにビルマを知る人が観ると違和感を感じるという。 きっと彼女もそうだったんだろう。。 (ちなみにアウンサン将軍と日本の関係は深い。 1943年3月にはアウン・サンは日本に招かれ、わずか28歳の若きリーダーと称えられ旭日章を受章している。 第二次世界大戦当時日本軍と共にイギリス軍と戦っていたものの・インパール作戦の失敗などで日本の敗戦が濃厚となってきた為イギリス側に寝返っている。) 1988年4月、ビルマに病気の母を看護するために戻る。 87年9月の高額紙幣廃止令などをきっかけに、学生を中心に始まった反政府運動は、デモ中の学生が虐殺された3月以降に激化した。 7月には1962年の軍事クーデター以来、独裁政治を敷いていたネ・ウィン将軍・ビルマ社会主義計画党議長が辞任した。 戒厳令下では学生、市民らが大規模なデモを行った。アウンサンスーチーは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説を行った。 9月18日には国軍がクーデターを起こし、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権(国家法秩序回復評議会、SLORC)が誕生した。 民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出たとされる。 アウンサンスーチーは9月に、翌1990年に予定された選挙への参加を目指し、国民民主連盟の結党に参加する。 全国遊説を行うが、1989年7月に自宅軟禁された。 国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否したと言われる。 軍事政権は1990年5月27日に総選挙を行い、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟 が大勝した。 しかし軍政側は権力の移譲を拒否した。 激しい国際的な非難を招き、アウンサンスーチーは91年にノーベル平和賞を受賞した。 賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。 1995年7月10日に自宅軟禁から解放される。 週末に自宅前集会を行って大勢の聴衆を集めたが、最終的に軍政により中止に追い込まれる。 国民民主連盟は同11月に制憲国民会議のボイコットを決断し、軍政は、対抗措置として同党側委員を除名した。会議は事実上休眠状態となる(2003年に再開)。 国民民主連盟は1996年5月、アウンサンスーチー釈放以後初の党大会を計画したが、軍政側は国会議員235人を拘束する弾圧策に出た。 軍政はアウンサンスーチーにラングーン外への移動を禁止していた。 アウンサンスーチー側は1996年と1998年にこれに抵抗したが、いずれも妨害された。 国民民主連盟は1998年9月、国会招集要求を無視した軍政に対抗し、アウンサンスーチーら議員10人で構成する国会代表者委員会 (CRPP) を発足させる。 1999年3月、夫マイケル・アリスが前立腺がんで死亡。 ビルマ入国を求めた夫・アリスの再三の要請を軍政は拒否した。 再入国拒否の可能性があるアウンサンスーチーは出国できず、夫妻は再会することができなかった。 アウンサンスーチーは2000年8月24日、ダラーの国民民主連盟青年部への訪問を再び阻止される。 抗議の篭城を行うが、9月2日に首都ラングーンに強制送還された。 同月22日にマンダレー行きを試みたが、再度拘束され、翌22日から再度自宅軟禁された。 同10月から、ラザリ国連事務総長特使らが仲介し、アウンサンスーチーと軍政との間で国民和解対話に向けた前段交渉が始まり、2002年5月6日に自宅軟禁は解除される。 その後国民民主連盟の党組織再建のため、各地を遊説し、訪問先で熱狂的な歓迎を受ける。 2003年5月30日、ビルマ北部を遊説中に軍政による計画的な襲撃に遭い、活動家や支援者に多数の死傷者と逮捕者が出た。 襲撃の責任者が現首相のソーウィン中将とされる。 その後は軍施設に連行され、三度目の軟禁状態に置かれる。 外部からの訪問はほぼ完全にシャットアウトされた。同9月に手術入院した後は自宅に移され、自宅軟禁状態となっている。 ・・・と、だいぶ長くなってしまいました。。 ちなみにビルマへの最大の援助国は日本。 これまでの援助総額は4000億にも上るという。 このためスーチーは「日本の援助がビルマの軍事を支えてきた」と日本の援助に対し常に批判的であったが・2002年5月に自宅軟禁から解放されてからは援助に理解を示す発言もしています。 補足として・もう1点☆ ミャンマー国軍では歌詞こそ違うものの、軍艦行進曲が国軍の公式行進曲として現在でも使用され、国軍所有のテレビの朝の開始音楽として毎日のように放送されている。 軍艦行進曲はここで聞けます。 「歌ってよし」をクリック☆ ちなみに韓国ではこの曲を使用した反日歌が十数種存在している。 * * * * * * * * まとめているうちに「ビルマの竪琴」が観たくなり・今日からレンタル半額のツタヤに行って日活版ですが・借りてきました!! 感想アップできる余裕があったらしますね☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月03日 19時57分06秒
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