地球温暖化の影響で日本の夏は、外出自粛を呼びかけられるほどの猛暑となっている。今や日本は亜熱帯と化している。
こどもたちにとって夏と言えばプールが楽しみの一つであろう。でも今や外に出ることは危険なため、学校や保育園でのプール活動が大きく制限されている。そのため、学校用の屋外型プール製造は廃止になっていくと聞いた。
なんと、気の毒なことだろう。屋外で泳ぐからこその楽しみがあるというのに。
私が小学校に入ったのは五十年以上も昔だが、プールはなかった。設備が他校に比べて遅れていたのである。だから三年生になったとき、プールが完成してみんな大喜びだった。それまでプールと言えばバスに乗って市営プールまで行かなければならなかった。浮き輪で浮かんでいるだけだったが水に包まれ、心身ともに癒され、幸せだった。だから学校のプールにも大いに期待した。
しかし、学校に浮き輪は持っていけない。市営プールとは違ってそこは水泳の授業なのだ。自由に遊んでいられるわけではないと知り、落胆した。落胆だけではなく、恐怖も感じた。私は顔に水がかかるだけでも怖かったのである。浮き輪がないと怖い。今にも溺れそうな恐怖を抱いた。
多少は泳げるという子たちはスイミングクラブに通っているか、親に泳ぎ方を教わっていて慣れている子たちだ。浮き輪で浮かぶことしか知らなかった私のようなこどもたちはバタ足をしろと言われても立ちすくむばかり。友達の水しぶきがかかるだけでもビクビクする有様だった。恐怖で固まっている私を見て、泳げる男児がからかう。
「やーい、怖がってらー」
水までかけられる。泣きそうになった。プールなんかできなければ良かったのにと学校を恨んだ。
その年の夏、私は兄と二人で滋賀県に住む祖父母宅に二週間ほど遊びに行くことになった。兄は毎年一人で行っていたが私も大きくなったので親の許可が下りたというわけだ。
行ってみて驚いた。辺り一面、田んぼが広がり、お店など一軒もない。公園もない。読書好きだった私は本屋さんがないことにまず失望した。兄は慣れていたので虫取り網を持って蝉捕りをしたり、田んぼでカエルやオタマジャクシを捕まえたりして喜んでいた。私は虫もカエルも触れず、気味が悪かった。
そんな私を見て兄が、誘ってくれた。
「ただのプールがあるんだぞ」
祖母の自転車に二人乗りをして、でこぼこのあぜ道をガタゴトスピードをあげて走るものだから、転倒した。自分の意思でなくスピードを出され、ひっくり返って痛い思いをするなんてさんざんだ。そんな苦労をして到着したのは確かにプールだった。プールの形をしている。学校のプールと同じく二十五メートルコースのあるコンクリートのプールだ。違うのは水の色だ。学校のプールは管理されていて透明な水だったが、その無料プールは田んぼと同じ深緑色。田んぼの水をそのまま汲んできたのかと思うほど同じだ。そしてカエルまで泳いでいる。衝撃的なプールだった。
地元の子たちはそのプールを使わないから管理していなかったのだろう。プールは私たちの貸し切り状態だった。
兄は慣れているのでその貯水池みたいなプールですぐに泳ぎ始めた。そして水を怖がる妹が実に面白かったらしい。学校のプールと同じだ。兄は嫌がる私にバシャバシャと水をかけてきて、悲鳴を上げる妹を見て笑う。監視員もいないから兄はエスカレートしていった。それっと私をその深緑色のプールに突き飛ばす。
うわっ、こんな汚い水。きれいな水だって怖いのに、なぜカエルのいる田んぼのような水の中に入らなくてはならないのか。抗議する余裕もなく、何度も投げ込まれ、そのたびに私は手足をバタバタさせてもがき、陸に何とか上がる。そして投げ込まれる。この繰り返しだった。
何度も投げ込まれてもがいているうちに私は気付いた。怖くないではないか。こんなものが顔にかかったってどうってことない。私の水慣れ体験は実に豪快にスタートした。
深緑色の水でも入るとひんやりして気持ちがいい。
数日すると私は自分からどんどんプールに入るようになった。
最初はばた足をしているだけだったが、気付くと私の横では小さなアマガエルがすいすい泳いでいる。カエルと並んで泳いでいると思ったら可笑しくなった。
カエルの真似をして足を広げたり伸ばしたりしてみた。おお、前に進むではないか。これがカエル泳ぎ、平泳ぎか。カエルは私の先生だ。俄然親しみを感じた。触れなかったのが嘘のようだ。
私がまったく水を怖がらなくなったので兄は苦笑した。
「なんだ、怖がらないのか。つまんねえな」
九月、学校のプールが再開した。
私は堂々と顔を水につけ、バタ足で前進してみせた。できるようになったということで水泳帽子に付けるリボンももらえた。
七月に私をからかって水をかけていた男児が兄同様、驚いていた。
「なんで急に泳げるようになったんだ。あんなに怖がっていたのに」
だって、私の先生はカエルだもん。私はツンと頭をそびやかし、得意でならなかった。