変わらざるを得なかった
三十九年間、保育園で働いた。かなりの肉体労働であるため、定年は六十五才だったが、六十一歳で引退した。疲労が限界に来たと感じたのである。
その後、還暦過ぎだというのに、初めてのオフィスレディとなる。嘱託だ。肉体的には楽になったが、頭脳疲労を起こした。慣れないパソコン業務、相談業務、新たな人間関係に私は壊れ始めた。パソコンが苦手で、固まるとエッセイに書いていた林真理子氏の気持ちがよくわかった。
一年でギブアップしたため、六十二歳で今度は図書館の嘱託に変えてもらったのが今年だ。図書館を希望したのは単に本好きだというだけで、どんな業務が待ち受けているかさっぱりわかっていなかったところが自分でも怖い。
本の貸し出しなどは機械でもできてしまうため、そういった作業に出番はない。
結局、パソコン業務が殆どということになり、しまったと思っても、もう遅い。昨年までの事務とはまた、全然違う種類の事務だ。
幸い係の人たちが親切だったので、手取り足取り逐一教えてもらいながら、必死になって覚えようとしている。悔しいが、もともと覚えが悪い上、老齢化した頭に叩き込むのは容易ではない。
本が好きでなければ務まらなかっただろう。といっても勤務中に読むわけにはいかないから、休憩時間や勤務終了後に本を借りに行ったり、読んだりするのが楽しみなのである。本に囲まれた環境が好きだ。こども時代からの憧れの環境である。もともと、児童文学が好きだし、担当も児童書だったから、必然的に児童文学の読書量が増えていった。そして、それまでの自分では読もうとしなかったジャンルも目が行くようになり、選ぶのも借りるのも楽しい。簡単でもいいから、感想をレビューとしてスマホで書き込んでいる。
仕事環境が三年連続で変わっているのだから、私生活は変化があまりないほうが本来なら好ましかったかもしれない。
しかし、この三年の間に娘は結婚して家を出ていき、慣れぬ一人暮らしが始まっている。
猫がいたから良かったようなものの、いなかったら寂しさに心が荒んだかもしれない。やはり、温もりのある生活はありがたい。
そしてここへきて、五年以上通っていたジムを変わることになった。理由はいろいろあるが、一番大きな要因は加齢である。もともと変形性膝関節症を持っていたのだが、気合と体力でカバーしてきた。しかし、何度も膝に水が溜まり、治療費もばかにならない。治療より予防策を考えることにした。
一番いいのはプールである。体重の負荷をかけずに足腰を鍛えられるからだ。
残念ながらそれまで通っていたジムにはプールがなかった。そこで最寄りのプール付きのジムに変えた。たかがジムと言うなかれ。私にとっては結構長い時間を過ごすところなのである。足の治療が目的だからプールはもちろん使うが、ダンスを諦めたわけではない。むしろ、ダンスを続けたいからプールで運動をするのだ。今日はプールで、翌日はヨガ、別の日にはダンスというスケジュールになっている。どれも上手くないというおまけ付きで、劣等感も強くなる。それに新しい環境なのでやはり、緊張もする。さすがに「はて」と考え込んでしまう。
結局、何をやりたいのだろうか。ダンスは下手の横好きなので、生き甲斐とまでは言えない。気晴らしに近い。プールもヨガも健康のためだが、健康のために生きているのか。
読書量が増えたものの、寝転んで読むため体重まで増えているではないか。これ以上、運動はできない。
いろいろな変化に脳が疲れて何を本当にやりたいのかわからなくなっている日々である。