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カテゴリ:モンゴルと中国
大相撲3月場所は、霧馬山の優勝で終わりました。私は次の大関候補は豊昇龍(朝青龍の甥っ子)だと思っていましたが、今回の優勝で霧馬山も最優力候補になってきました。テレビで「遊牧民出身」というのを聞いて、どこかなと調べてみました。
モンゴルの横綱の多くが土俵を去ったとはいえ、まだまだ多くのモンゴル人力士が活躍していますが、その多くはホトっ子(UB出身)で遊牧民らしさは全然ありません。本物の遊牧民出身力士と言えば、幕内では逸ノ城くらいじゃないでしょうか?なので、ちょっと調べてみました。 彼はモンゴルの東の端、ドルノド県で遊牧民をしていたんだそうです。ドルノド県と言えば、ハルハ河戦争が起こった場所で、本ブログでも時々紹介しています。私もコロナ前に行きました。 草原の国モンゴルの中でも、トップクラスの大草原が広がる平地が続くところで、車に乗って1-2時間寝た後目覚めても、同じ風景が続いていると言われるほどです。それだけ遊牧に適した場所ともいえるでしょう。 この霧馬山という名前、私は当初は、「霧に包まれた草原にいる馬が見える山?」みたいな風景を思い浮かべていました。要するに、モンゴルと関係あるんだろうと。 ところが、彼の親方が元霧島の陸奥(みちのく)親方だと知って、「なるほど、霧馬山の霧は霧島の霧だな」とわかったのです。そこにモンゴルの「馬」をつけたんだろうと勝手に解釈していました。 ですが、どうやらもっと深い意味があるようです。霧は霧島の霧ですが、馬山は双葉山からとったんだそうです。双葉山は誰もが知る、伝説の大力士です。そのふたばやまの「ばやま」をもらって、霧ばやまとしたんだそうです。なかなか複雑な構成ですね。 でも、名前を見れば、その期待の大きさがわかろうというものです。霧葉山ではなく、霧馬山としたところくらいに、多少はモンゴル的要素が含まれているのかもしれません。 彼はドルノドのどこ出身かとか、ルーツなどは日本語の情報では出ていないので、ちょっとモンゴル側の情報に助けてもらいながら調べてみましょう。 彼はドルノド県のセルゲレン郡(ソム)出身のウゼムチン族です。以前に本ブログでも紹介しましたが、ドルノド県には少数民族のバルガ族がいると書きました。 バルガ族は歴史をたどれば、ロシア領土にされたブリヤード人がロシアを嫌って南下し、満州・中国領内に移った人たちで、更にモンゴル国に移住してきたのです。このバルガ族とは違いますが、やはりウゼムチン族は内モンゴルからやってきた人たちです。 ウゼムチンとはどういう意味か?チンというのは「~の人」という意味で、直訳すると「レーズンの人」となります。レーズンとは、干しブドウのことですが、恐らく先祖が「レーズンの収穫者、収集者」であったことによると考えられています。 このウゼムチン族には東ウゼムチンと西ウゼムチンがあり、ともに現在の内モンゴルです。東ウゼムチンはドルノドの東側、ホロンボイル高原辺りにいる人たちで、西ウゼムチンは内モンゴル中部、シリンゴルあたりのようです。なので、言葉も違って、西ウゼムチンの人たちはチャハル方言です。東ウゼムチンはわかりませんが、ホルチン方言の可能性があります。 さて霧馬山です。彼のお父さんは、ビャンバチュルーンさんであったと思われます(彼の名前より)。で、その父親、つまり霧馬山のおじいちゃんは、どうやら内モンゴルからモンゴルにやって来た人のようなのです。 年齢的に推測すると、戦後或いは中国共産党成立の時代、更には文化大革命による大迫害の時代と想像されます。いずれにしろ、中国にいた多くのモンゴル人が迫害を受け、モンゴルに逃れてきた時代であったと思います。 そのおじいちゃんは、なんとモンゴル相撲の選手だったようです。霧馬山はそのおじいちゃんの血を継いでいると考えられます。テレビ解説などでは「モンゴルでは柔道などをやっていたようですが、モンゴル相撲はやってなかったようですね。」と言ってましたが、モンゴル相撲の血統のようです。 おじいちゃんはもしかして内モンゴルで有名だったのかもしれません。なぜなら、今回の霧馬山の優勝が内モンゴルで結構話題になっているからだそうです。 なぜ話題になっているのかはわかりませんが、可能性としては一つは内モンゴルに多いウゼムチン族であることが知れたから?もう一つは、彼のおじいちゃんが内モンゴルの相撲取りとして有名だったから?ではないかと推測している次第です。 遠く数十年前に、中国共産党の迫害から逃れてきたモンゴル相撲力士の孫が、日本の大相撲で優勝して、内モンゴルの人たちの話題になるなんて、東アジアの目に見えないつながりを感じますね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.03 16:38:05
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