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カテゴリ:映画
アメリカ文学を代表する小説『白鯨』。その元ネタとなった実話を映像化した作品『白鯨との闘い』を観に行って来ました!
恥ずかしながら、私は『白鯨』を読んだことがありません。名前は何度も聞いたことがあるのですが、この映画を観るに当たり、初めてその内容を知りました。世界史に残る名作は是非とも読んでおきたいとは思うのですが、古代ギリシアなどの西洋古典文学に積極的に読書時間を割り振っているので、読む時間がなかなか確保できないんですよね。それでも、今作を通じて「西洋古典文学の読書時間を割いてでも『白鯨』を読んでみたい!」と思うようになりました! ※ネタバレ注意 邦題は『白鯨との闘い』ですが、白鯨と闘っているシーンは思ったよりも少ないです。しかも、圧倒的な巨体を誇る白鯨に、一方的に捕鯨船がやられているだけ。白鯨にやられた後の海上サバイバルの方が遥かに時間を割かれており、『ジョーズ』の鯨版と思って観に来ると、がっかりするのではないでしょうか。それもそのはずで、原題は"In the Heart of the Sea"であり、全く「闘い」などという単語はありません。今作を鑑賞した後、真っ先に来た感想は「邦題のセンスねぇな・・・」でした。 しかし、内容自体は良作だと思います!テーマは明白で、「人類の愚かさ」と「自然の怒り」が、それぞれ捕鯨船と白鯨によって見事に表現されています。当時は、油のためだけに鯨が乱獲されていた時代であり、その行為を正当化するためなのか「鯨は悪!」という思想まであったようです。まぁ、古代ギリシアの時代よりケートスという化け鯨の神話はありますし(最終的に、エチオピアのケートスはペルセウスが、トロイアのケートスはヘラクレスが退治します)、鯨=怪物という連想自体は古くからあるものなのでしょう。クレタ文明の時代より海難救助の守護神とされ、ポセイドンやアプロディテ、アポロンの聖獣として信仰されてきたイルカとはえらい違いですね。 今となっては反捕鯨団体なんてものが出てくるほど、欧米は鯨に対して友好的になりました。日本の捕鯨が槍玉に挙げられているように、今の欧米人の頭の中では「鯨=善、捕鯨=悪」が擦り込まれていることでしょう。随分と都合の良い頭の奴らですが、それを考慮すると、「人類の愚かさや傲慢さを代表した捕鯨船が、自然の怒りを代表した白鯨によって懲らしめられる」という図式が出来上がります。終盤の、オーウェンが槍を白鯨に打ち込めるのに打ち込まなかったシーンは、オーウェンが人類の愚かさを理解し、それを認めたということなのでしょう。故に、あれだけしつこかった白鯨は、それ以降一切追撃しなくなったのです。 また、トマスが「恥ずべき行為」を打ち明け、それが妻によって受け入れられたことは、船上の極限状態における食人に限ったことではなく、かつて欧米が主導して行っていた捕鯨に対する贖罪も意味していたものだと思われます。 昔は「鯨=悪」でも今や捕鯨が悪なのですから、捕鯨の歴史は欧米にとって植民地政策にも匹敵する黒歴史でしょう。トマスを通して欧米はかつての捕鯨を告白し、彼の妻を通してそれを許したのです。このように、『白鯨との闘い』は、どちらかというと『黒歴史との闘い』という側面もあったかのように思われます。日本人としては「だからといって『捕鯨=悪』という身勝手な図式をこっちにまで押しつけるなよ・・・」とは思いますが笑 他にも、リアルな捕鯨船の様子や、見てるこっちが辛くなってしまうような船上サバイバルなど、見所はたくさんありました!『白鯨』を読了した後なら、尚更楽しめるのではないでしょうか? 映画の最後で、『白鯨』は「ホメロスの叙事詩のようだ」と褒められていましたが、その一言だけで読んでみたくなりました笑 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.27 20:30:49
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