モノクロームの週末備忘録 (『母の日』① )
母こそは命のいずみいとし子を胸にいだきてほほ笑めり 若やかにうるわしきかな母の姿(唱歌『母の歌』野上弥生子作詞) 『母の日』に読み返したくなる文学作品と聞いて思い浮かぶのは、人により実に様々かと思います。 私自身の乏しい読書体験からそれを語るのは大変に恐縮なのですが···。 有島武郎の『小さき者へ』, 谷崎潤一郎の『母を恋ふる記』・『少将滋幹の母』, 森鴎外の『山椒太夫』等を挙げたいと思います。 また、調べの美しさが忘れ難いのが、三好達治の叙情詩『乳母車』。 児童文学なら、小川未明の『どこかに生きながら』, 坪田譲治の『きつねとぶどう』, 壺井栄の『お母さんのてのひら』等が何れも御奨めですが···。 今回特に押すのは、『氷点』,『塩狩峠』等···人間の原罪や自己犠牲の意味を基督者的視点から追究した作品で知られる 三浦綾子 の中編小説 『母』 です。 激しい思想・言論弾圧の嵐が吹き荒れた昭和初年代···。 国家権力に対して抵抗の姿勢を貫き、悲劇的な死を遂げたプロレタリア小説家・小林多喜二 。 小説『母』は、多喜二の 母 ・ セキ の眼差しを通して、 多喜二の人間像と、 その生きた時代を浮き彫りにしている佳作です。 最晩年のセキが、 自らの来し方と多喜二の思い出を第三者に語り聞かせるという形式で叙述されています。 ・・・本書は、 八十八歳の多喜二の母が、 ···自分の思いを語り聞かせ、 遂にキリスト教で自分の葬式をしてもらおうとするに至る心情を述べている。 何しろ、 八十八歳の高齢である。 ものの考え方も、 共産主義者とも、 キリスト信者とも、 ちがったものがあるかも知れない。 私はそれでもいいと思った。 多喜二の母が、 こんな思いで生きたのではなかろうかという推測を、 私なりにたどたどと書いてみた。(三浦綾子著 『母』 あとがきから)