本日 (4月16日) の出来事。
1887 (明治10) 年 札幌農学校初代教頭ウィリアム ・ S ・ クラーク、 札幌を去る。 札幌農学校 (現北海道大学) 初代教頭である ウィリアム ・ S ・ クラーク は、 是の日・・・1887 (明治10) 年4月16日。 任期が満ち、 札幌を去るに際し、 見送りに随った教え子達に向かって、 馬上から・・・。 “Boys, be ambitious. like this old man.” ・・・との言葉を発すると、 馬首を翻し、 駆け去って行きました。 クラーク博士としては、 事更に劇的な離別のポーズを狙ったわけではなく、 案外淡白な心境で挨拶したに過ぎなかったのかも知れません。 本気で格好を付けるつもりなら、 パフォーマンス豊かに、 演説の一つも打っていたのではないでしょうか? とも有れ、 この逸話は、 開拓使時代の北海道にまつわる、 ロマンに満ちた、 詩的な情景として、 日本人好みに彩色され、 今日まで語り継がれているのですが・・・。 その事実自体が、 建学に際してのクラーク博士の功労の大きさを物語っているとも云えます。 単に先進的な技術 ・ 知識の輸入に留まらず、 人材育成・・・人間教育の充実に重点を置く 教育体系 の移植に、 如何に意欲と情熱をもって取り組んだかの証左でも有るのでしょう。 米国マサチューセッツ農科大学学長であるクラーク博士が、 北海道開拓使の招請に応じて来日したのは、 1876 (明治9) 年7月・・・。 クラーク博士が50歳の時でした。 基督教信仰に基く、 その教育指導方針には、 個々人の資性の向上を通して豊かな社会の建設に貢献するという、 明快な理想主義が貫かれていました。 ・・・ピューリタリズムと功利主義の調和 ・ 融合。 それは西欧市民社会の精神的背骨を成している理念でも有りました。 そして、 封建制度が解体され、 近代的な国民国家が形成されようとしている過渡期の日本が模索していた、 新時代の教育理念とも見事に適合するものでした。 クラーク博士が、 札幌農学校で教鞭を執った期間は八ヶ月足らずでしか有りません。 従って、 その声咳に直に接し、 薫陶を受けたのは、 第一期生24名に限られるのですが、 先の逸話の持つ絶大なるインパクトの故にか、 何期にも渡って青年達を訓育し、 人格的感化を及ぼしていたかの様な錯覚が有ります。 優れた 教育理念 は生き続けるもので、 その自由 ・ 進取の気象にあふれた校風の中で、 内村鑑三 ・ 新渡戸稲造等・・・多くの逸材が育まれ、 社会へと巣立っていくのです。