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テーマ:戦争と平和(55)
カテゴリ:その他いろいろ
ちょっと前の話しになりますが、終戦(敗戦)記念日の15日に息子と一緒に日帰りで広島に行ってきました。
お恥ずかしい話ですが、これまで一度も広島の原爆ドームを見に行ったことがありませんでした。先日、沖縄のひめゆりの塔や平和記念公園に行く機会があり、次は広島に行かなければと思ったのがきっかけです。この日、お母さん(妻)は、長女と次女を連れてハワイ旅行の真っ最中。最近、政治や経済に興味をしめしている長男に広島旅行を提案したところ15日なら部活もないので行ってみたいとのこと。幸い、度重なる海外出張でマイルは捨てるほどあります。ということで、二人分の広島往復チケットをネットで予約して、始発のフライトで羽田を発ち、最終のフライトで戻ってくる強行スケジュールで行ってきました。 羽田までは車。一日1500円で駐車できるので、早朝、深夜の空いている道路の移動はスムーズでした。 広島空港に到着後、ただちにリムジンバスで広島バスセンターへ。インフォメーションデスクで確認したところ、原爆ドームへ行くのならここ行きのバスに乗ればいいとのこと。広島バスセンターから通りへ出るのにちょっと苦労しましたが、たしかに原爆ドームはすぐそばでした。 あらためて原爆ドームを見てみると、ああこんな小さいんだというのが最初の感想。まわりの環境がどんどん高層ビル化しているため小さくなったように見えるようです。何よりも驚かされるのが原爆ドーム周辺の木々の太さ。原爆投下で焼け野原となった爆心地も数十年の歳月でこんな太い幹の木がそだったのだと、自然のたくましさを実感しました。 午前中は、原爆ドームを見た後、広島平和記念資料へ。展示内容は、かなりヘビー。小さな子だと泣き出してしまうのではないかと思うほど、痛ましい内容でした。私は、『はだしのゲン』が少年ジャンプで連載開始されたころの子どもなので、マンガを通じてそのむごたらしさは知っていました。が、それだけにこれまで実際に足を伸ばしてみようという気にならなかったというのも事実です。恐いものは見たくない、みたいな。しかし、ひめゆりの塔を経験して、50歳に間もなくなろうとしているのにやっぱり広島を見ないでいてはいけないという思いが涌き上がり、今回の旅行に行こうという気になりました。昨年の地震とそれに続く原発事故の影響もあるかもしれません。 広島平和記念資料館を見た後は、館路面電車に乗って広島駅へ。駅ビルの中にある第二麗ちゃんで広島焼きを堪能しました。ここは先日同僚と広島出張に来た時に、教えてもらった人気店。お昼時と重なってしまったため40分ほど並びました。 午後は、呉にある大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)へ、行ってきました。たまたま、前日にミリオタの同僚と訪問先からの帰りに息子も一緒に食事をしたのですが、彼曰く広島に行くのなら呉の大和ミュージアムも行ってくるといい、と。呉市は、明治22年に呉鎮守府、明治36年には呉海軍工廠が設置され、戦前においては、戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄えたそうです。日本が海外の技術を学び少しずつ実力をつけていく様子が丁寧な展示で説明されていて、想像していた以上に面白かったです。ただ、戦後の日本の発展に大和建造の技術が貢献したとのコメントが多過ぎて、(事実も含んでいるとは思うものの)ちょっとちょっと大げさすぎるかなと思いました。 むしろ自画自賛ではなく、日本軍自身が切り開いた戦闘機時代に巨大浮沈戦艦にこだわってしまったという日本の大失敗について、どこでどう時代の流れを見失ってしまったのかも掘り下げて欲しかったと思います。 大和ミュージアムを見た後は、すぐ隣にある海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)を見学しました。潜水艦のことなどを誇らしげに説明して下さるボランティアの方々が印象的でした。海上自衛隊のOBの方々でしょうか。そろそろ日本の軍備についてもきちんと議論してもいい時代になって欲しいものです。 呉駅の駅ビルでドーナツを食べながら一息ついた後、JRで広島駅に戻り、尾道ラーメンを食べてから再びリムジンバスで空港へ。 あっという間の一日でしたが、まったくの受け身のストーリーである原爆の話と攻撃する側のストーリーである呉海軍工廠という2つの物語を午前と午後で見たのはよかったと思います。 また、こうやって息子と旅行するのももしかしたらこれが最初で最後かもしれません。よい1日でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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