2000年2月15日
夜はなんだかいろいろな夢をみた。
めざめたときのふと思う感情はあれここはどこだろう?って気持ち。
暑くもなく寒くもなく蚊もいない夜は極めて快適でまるでにほんの自分の部屋にいるような気持ちのよい目覚めで7:30に起きた。
ねぼけた頭でさて今日は?と考えるのも毎日の日課だ。
今日はナイル川の源流へと出向き1日中ぼーっと過ごす予定である。
でもそんな予定の裏で、ぼっとする時間が過ぎていくのももどかしい自分が居る。
どのみちタイムリミットで明日中にはナイロビに戻らなければいけないので、とりあえずバスの時刻を調べに行こうと外に出る。
しかしバスステーションに行っても要領を得ず。なんだかめんどくさくなってくる。
もういっそのんびりするのはやめて今日中にケニアに戻ろうか?
一旦そう思ったら90%その気になった。
それはさておきとにかくこの町に来た目的も果たそうと思いたってその足でナイルの源流を目指すことにした。
町はずれを15分くらい歩いていくと「この先ナイルの源流」というような案内板が見つかった。
その道を入ると幅広い道路の両脇におびただしい鳥の群が旅行者を迎えてくれる。
げーげーと鳴く鵺のような鳴き声と時折降ってくるおしっこの中を10分ほど歩くと前方にきらきらと輝く海のような輝きを発見する。
あれがビクトリア湖か!
しばらく歩くとまもなく道はゲートにさえぎられ、係員のおっさんに入園料100シリングを払ってゲートをあけてもらう。
ここはスピークス記念公園というちょっとした緑園地。そういえば、ナイルの源流を発見したのは「アラビアンナイト」の翻訳で名高い冒険家のリチャードバートンとその助手のスピークスであったか。
小気味よい緑地を川面に下りてゆくとビクトリア湖の岸が狭まってナイル川となって出てゆく所に出向いた。なかなかの美しいところである。
しかし厳密に言えば、ビクトリア湖はナイル水系の途中のみずがめみたいなもんだから源流はあくまで山にあるというべきであろう。そしてナイルの源流にある山こそが僕の憧れる「ルヴェンゾリ」であるのである。しかしながら今回はかの山には立ち入れないのでここを源流と認めよう。みとめた証に源流の水を飲んでみた。
「まずい・・・」
これならアマゾン川の水の方がうまいかも。
ともかく目的を果たしたので、1日ぼーっとするどころか5分で去る。
行きと同じ道を歩いて宿に戻ったのは10:20。
もうこの町の目的は果たしたのでせっかちなことではあるがとにかくもう戻ることにする。
次の夢に目覚めてしまった僕にはじっとしているのは苦痛なのである。
マタツステーションに行くとちょうどブシア行きの車があったので飛び乗った。そして3時間揺られブシアに到着し、24時間の滞在を終えてケニアに戻る。
ルヴェンゾリという目的さえ近くにあればもっと滞在したい国ではあったが今回は致し方ない。
今日中に帰れるところまでと歩をすすめ、道ばたでキスム行きのマタツ拾われて夕方にキスムについた。
今日はちょっと奮発してバストイレ付き450シリングの宿をとった。湖側の部屋からは、先ほどまで近くにいたビクトリア湖が夕日にきらきらと反射し、湖の方からさわやかな風が流れ込んできた。
旅のさなかにあるひとときの幸せを感じる瞬間である。
しかしその快適さが、仇になろうとはそのときには思わなかったのである。
夕食に外に出た僕の体を急激な悪寒が走った。
全身に寒気が走り、頭が少し重い。咳がこんこんと出始め、何よりも下痢がひどい。
旅先で体調を崩すと途端に弱気になるのはいつものことだ。
もしかしてこれはマラリアでは?
いや肝炎かデング熱かそれとも眠り病か?
夕方以降部屋にこもって横になっていると、さっきとうってかわって、暑苦しさに全身から汗が噴き出してきた。
体が少し楽になってほっとするが、急激な熱の低下はマラリアの可能性もある。
今はとにかく寝ているしかない。
しかしその安眠を破るように腹痛が断続的に襲ってくる。
しかしああ何ということだろう。
キスムは今日も断水で、蛇口からは1滴の水もでなかった。
もちろん、歯を磨くことも、顔を洗うことも、手を洗うことも、ああそれより何より下痢でお世話になったトイレの水を流すことさえできやしない!
倦怠感と腹痛は絶え間なく襲ってくる。
さあ明日の旅はどこへ行く?