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「肉体の成長」は外側から見える部分も大きいので、ある程度なら多くの人が認識しています。
でも「運動能力」や「からだの使い方」などの成長に関しては、外から見ただけでは分かりません。それを見る能力がある人が見れば、「歩き方」や、「日常の動作」や「からだの使い方」を見ればある程度は分かりますが、そのような能力がない人はそういうものを見ても気づきません。説明されても理解できません。 それでも、スポーツや様々な身体的な活動をやらせてみると、その発達状態を知ることが出来ます。 でも、「肉体の内側」に隠されている「感覚の成長」や「心の成長」となるとさらに難しくなります。そのため、それを気にする人は多くありません。シュタイナー教育ではそのような成長を大切にしていますが、普通の教育においては、「学力の成長」や「社会性の成長」にのみ力を注いでいます。 でも、「感覚」や「心」もまた肉体と同じように成長しているのです。だから「子どもの心」と「大人の心」は違うのです。だから、大人たちは「子どもの言葉の意味」、「やっていることの意味」が分からないのです。 ただ、「感覚の成長」の仕方と「心の成長の仕方」は同じではありません。 子どものうちは「苦いもの」が苦手です。「うまみ」よりも「あまみ」の方を好みます。でも、成長と共にそういうものを美味しく感じるようになるのです。これは「肉体の成長」に伴う「感覚の変化」です。 また「心の育ち」によって目覚める「感覚の成長」もあります。それは「真・善・美」を感じる感覚能力の成長です。これは「変化」ではなく「成長」です。でも、「肉体の成長」は誰にでも起きますが、「心の成長」の方は個人差が大きいので、「真・善・美」の感じ方においても個人差が大きいです。そんなもの感じていないように見える人もいっぱいいます。 「心の成長」においても「変化」はあります。「異性に対する意識」「社会に対する意識」などは「肉体の成長」に伴って変化していきます。 それに伴い「子どもの心」から「大人の心」へと変化していきます。 ただ、その「変化」が単なる「変化」(置き換わり)だけで終わってしまうのか、それとも「成長」につながるのかは人それぞれです。 幼い子ども達は「自分のこと」だけを考えています。でもそれは自己中だからではなく、まだ意識の働きが「自分のことしか見えない状態」だからです。 でもやがて「他の人」のことも見えるようになってきます。その変化は段階的に訪れ「七・五・三」や九才、14才といった成長の節目ごとに変化していきます。 1,2歳の頃は「お母さん」が全てです。でも、3,4歳の頃からそこに「お父さん」が加わります。5,6歳の頃からは「仲間」が加わります。そして、9、10才くらいになると「社会的につながっている人たち」も見えるようになってきます。14才ごろになると、時代や地域に囚われないで古今東西の人たちのことも見えるようになってきます。 でも、9,10才以降の「心の成長」は個人差が大きいです。「仲間」だけで終わってしまって「古今東西の人」まで意識できるようになる子は少ないです。 意識の視点が水平移動しているだけの子は、自分の感覚で直接体験できる範囲までしか認識できないのです。 それはどういうことかと言うと、「お母さん」が「お父さん」に置き換わり、「お母さん」や「お父さん」が「仲間」に置き換わるような変化です。そのような成長をする子にとっては、「お母さん」「お父さん」「仲間」が別個の存在なんです。 そのような成長状態の子は、成長しても「お母さん」だけを選んだり、「お父さん」だけを選んだり、「仲間」だけを選んだりします。これは成長というよりも変化に過ぎません。 でも、「お母さん」が「お母さんとお父さん」へと変化し、さらに「お母さんとお父さんと仲間達」へと変化する子もいます。「世界」が移動するのではなく広がっていくのです。 (表現が難しくて申し訳ありません。) このような成長をしている子は「つながり」を認識することが出来ます。というか、「つながり」の中で育てられているから、このような成長が起きるのでしょう。 <明日に続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.11 08:08:35
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