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幼い子どもは「自分」のことしか分かりません。でも、様々な体験や学びを通して、次第に「相手」のことも分かるようになってきます。これは「肉体の成長」に伴う「生理的な成長」の結果です。
そんな時、虐待などを受けているような子は「自分の視点」ではなく「相手(一般的にはお母さん)の視点」を推測して、物事を感じ、考え、行動するようになります。「自分」が「相手」に飲み込まれてしまうのです。 そうして子どもは自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意思で行動することが出来なくなっていきます。 この「自分」から「お母さんへ」という視点の変化(視点の移動)は「変化」であって「成長」ではありません。「生理的な成長」の結果、「お母さんの視点」が分かるようになったのですが、「自分の視点」が「お母さんの視点」に飲み込まれてしまうのは「人間としての成長」ではないのです。 「自分の視点」も「お母さんの視点」も同時に大切にした上で「さてどうするのか」ということを考えることが出来るようになるのが「人間としての成長」なんです。「自分」を見失ってしまったら「人間としての成長」は止まってしまうのです。そして、それが可能になるためには「視点の上昇」が必要になるのです。 それは、「私だけ」という一次元で考えていたのを「私とあなた」という二次元でも考えることが出来るようになるということです。地表にいて見ていた世界を気球などに乗って上から見てみるというようなことです。 子育てに苦しんでいるお母さんの多くが、「子どもの幸せのために自分を犠牲にするか」それとも「自分の幸せのために子どもを犠牲にするか」という二者択一で悩んでいます。 でも、「自分の幸せ」と「子どもの幸せ」を両立させる方法もあるのです。 でも、そのことに気付くためには「人間としての成長」が必要になります。まただから、多くのお母さんが子育てを通して成長していくことが出来るのです。人間として成長して第三の選択肢を見つけ出さないことには、「子ども」か「自分」のどちらかが犠牲になるだけですから。 さらに生理的に成長すると9才を過ぎたころから「社会の視点」ということも分かるようになってきます。 すると今度は「自分の視点」を捨てて「社会の視点」に合わせて生きるようになる人もいます。そのような人は、テレビや、政治家や、周囲の人たちの意見に洗脳されやすいです。 第二次世界大戦が始まり、国が「鬼畜米英」と言ったとき、それまでお手本にしてきた欧米を急に「鬼」と罵るようになった人がいっぱいいましたが、そういう人は「自分の視点」を国や社会に簡単に明け渡してしまったのです。 幼いときから「自分の視点」を大切にするような育てられ方をしてこなかった子は、簡単に「視点」を乗っ取られてしまうのです。 あなたがもし「子どもの心」に対して、「変化」ではなく「成長」を求めるのなら、子どもが「自分の視点」をしっかりと持つことが出来るように関わる必要があるのです。 そのためには、「子どもが感じていること」「子どもが考えていること」「子どもがやりたいこと」を大切にしてあげる必要があります。 でも、ただほったらかしておくだけではダメです。 色々なことを感じることが出来、色々なことを考えることが出来、色々なやり方を知りそれを試して見ることが出来るような自由な場と、それを共有する仲間が必要になるのです。 ゲームしか知らない子に「何をして遊びたい?」と聞いても無意味ですよね。「ここ」しか知らない子に「どっか行きたいところがある?」と聞いても無意味ですよね。 そして、そういうことを子どもに問いかける大人との関わりも必要になります。人は問いかけられることで自覚が目覚めるのですから。 皆さんは何を感じ、何を考え、自分の人生で何をしたいのですか? その自覚が目覚めないことには「移動」は起きても「成長」は起きないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.13 08:51:20
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