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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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めげぞう@ Re[2]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) 森の声さんへ そうですよね。 私が仲間作…

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森の声

森の声

2024.11.15
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カテゴリ:カテゴリ未分類
私は、よく「物語の大切さ」を書いていますが、その「物語の大切さ」に気付いている人はそれほど多くないように感じています。

子どもの育ちには「体験」と「仲間」が必要です。そのことを知っている人は多いです。ですから、それを与えるために活動している人もいっぱいいます。
でも、その「体験」と「仲間」が子どもの心とからだの中に吸収され、子どもの心とからだの育ちに肯定的に働きかけるためには、子どもを体験や仲間とつなげるための「物語」が必要になるのです。


子どもと世界をつなぐためにも、子どもと自然をつなぐためにも、子どもと命の世界をつなぐためにも「物語」が必要なんです。
体験や仲間を与えるだけでは不十分なんです。
でも、今の子ども達にはこの「物語」が足りません。今の子ども達の多くは「物語」ではなく「物」だけの世界に生きています。

子どもの育ちにおける「時間」「空間」「仲間」という「さんま(三間)」の重要性を説く人は多いですが、それらのものと子どもとをつなぐ「物語」が存在しなければ、時間」も、「空間」も、「仲間」もその意味を失ってしまうのです。

犬や猿のような社会性を持った動物たちは、その育ちに「体験」と「仲間」が必要になります。
その点では人間と同じです。
でも、その育ちに「物語」が必要なのは人間だけです。
なぜなら、人間だけが「本能」ではなく「心」で「つながり」を作る生き物だからです。
人間は「物語」を介在させないことにはつながり合うことが出来ないのです。

私たちの社会では、「お金」や、「宗教」や、「民族」や、「国」や、「思想」や、「遊び」や、「言葉」といった様々なものが「人と人をつなぐもの」として働いていますが、でも、実際には、それらのもの自体には「つなぐ力」はありません。

そこに「物語」が介在して初めてそれらが「つなぐもの」として機能するのです。「お金」は「お金の物語」とセットになって、初めてその意味を発揮するのです。実際、その物語を知らない幼い子どもにお金を渡してもオモチャにしかならないですよね。

人と人が「お金」でつながり合うためには「お金の物語」が必要になるのです。その「お金の物語」を共有し合うことで「お金」を通してつながり合うことが出来るようになるのです。

ですから、「お金が欲しい人」と「お金が欲しくない人」では、「お金」を通してつながり合うことは出来ません。

でも、ドングリや小石のような些細なものでも、その「物語」を共有することが出来れば、それらが「つなぐもの」として機能するのです。

「物語が人と人をつなぐ」というのはそういうことです。

お金だけでなく、他の全てのものにおいても同じです。

ドングリやお金は「見えるもの」ですが、「物語」は「見えないもの」であり、目に見えない空気のように存在しているので、気付く人が少ないのです。

また、「言葉」が通じるのも「物語」を共有しているからです。
「木」という言葉が通じるためには、お互いが同じ「木の物語」を共有している必要があります。「木」を「森や生命の物語」とつなげて理解している人と、「紙や材木の資源としての物語」とつなげて理解している人とでは、「木」という言葉でつながりあうことは出来ないのです。「木を大切にしよう」という言葉の意味も全く異なったものになるでしょう。

前者の人は「出来るだけ木を切らないようにしたい」と思うのに対して、後者の人は「切った分だけ植林すれば同じでしょ」と思います。
そしてお互いに「こいつは何を言っているんだ」と思うでしょう。

大人が子ども達にどんなに「生命を大切にしよう」と訴えても、それは大人の価値観の押し付けに過ぎません。ですから、その価値観でつながり合うことも出来ません。

もし本気で、「生命を大切にする子ども達」を育てたいのなら、子ども達に「生命の物語」を伝えるしかないのです。
「価値観の押し付け」は逆の結果をもたらすだけです。

ただ、誤解されると困るのは、ここで言う「生命の物語を伝える」というのは、「そのような知識を教える」ということではありませんからね。
自分たちで種を植え、世話をして、花を咲かせ、また種を収穫して、翌年に育てる。
そのような体験とセットにして、子ども達に「生命は繰り返してつながっていくものだという物語」を伝えるのです。

生き物を可愛がるだけでなく、死ぬまでちゃんと世話をしてあげる。
「ペットが死ぬと子どもがかわいそうだから飼わない」という人が時々いますが、そのような人は子どもに「生命の物語」を伝えることが出来ないでしょう。
「死の体験」は、「生命の物語」の根幹です。この事実と向き合わせないままで「生命の物語」を伝えることは出来ません。
また、ザリガニや金魚が死んだとき、生ゴミとして捨ててしまうのも避けた方がいいと思います。

子どもがこのような体験を通して「生命」と出会ったときに、大人が「生命の物語」を語ってあげることで、子どもはその「生命の物語」に気付き、自分自身の「命の物語」も考えるようになるのです。そして「自分の命」を大切なものとして感じるようになるのです。





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Last updated  2024.11.15 08:03:46
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