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人の「心」は「言葉」で出来ています。ですから、「言葉」が育っていない子は喜怒哀楽などの感情は持っていても「人間らしい心」は未熟なままです。そして、自分の欲望や、目先の損得勘定だけで行動します。
「こういうことをしたら、こういう結果になる」というような「原因と結果」を想像する能力も低いです。 そして、闇バイトやカスハラなどの様々なニュースを見ていると、そのような状態の人がどんどん増えてきているようです。 そのような人に倫理や道徳や善悪を説いても無駄です。それらの概念を理解するための「言葉」が育っていないのですから。 罪を犯した人を捕まえて罰則を与えても無駄です。反省するためには自分との対話が必要になるのですが、言葉が育っていない人にはその対話が出来ないのですから。 そのような人に罰を与えても逆恨みしたり、「次は捕まらないように気を付けよう」と考えるだけです。 ですから、そのような状態の人が「困ったこと」や「犯罪」を繰り返さないようにするためには、「罰」を与えるのではなく「教育」を与える必要があるのです。特に「言葉の教育」です。 逆に言えば、そのような状態の人が増えてきたのは、現代人が「言葉の育ち」を大切にしていないからでもあるのです。 子育てでは、子どもに対して「お母さんの言うこと」に素直に従うように求めている人が多いです。そのような人は子どもに指示や命令を出しますが、子どもの言葉には耳を傾けません。でもそれは、言葉を持たないペットなどを調教する時に使う方法です。 教育でも知識を覚えさせるだけで言葉を育てようとはしていません。そもそも、子どもを椅子に座らせて、講義を聞かせるだけでは「言葉」は育たないのです。そのような状態でも学ぶことが出来るのは「すでに言葉が育っている子」だけです。でも、そのような「言葉が育っている子」にとっては、知識を覚えるように求められるだけの授業は苦痛です。 あの授業形態は「子どもの都合」に合わせたものではなく、「大人の都合」に合わせたものなんでしょう。 「言葉」は「体験」とセットにして学ぶものです。「言葉」だけでは教えようがないのです。「本」を見せもせず、触れさせもせず、読ませもしないで「本」という言葉を伝えることは出来ないのです。 それでも、大人が「ホン」という言葉を使っていれば、「ホン」という「音」は覚えることが出来ます。そして、大人と同じようにその言葉を使うことも出来ます。 そのため、「言葉の本質」を知らない大人たちは、それで子どもが「本」を理解したと思い込んでしまうのです。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.16 06:23:40
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