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人が成長するためには「気付き」が必要です。どんなに多くの知識を学んでも、そこに「気付き」がなければ人は成長しません。
逆に、ありふれた日常生活の中ででも「気付き」を得ることが出来る人は成長します。子育てを通して、子どもや、命や、自分や、自然や、社会に対して色々な気付きを得ることが出来る人はどんどん成長していきます。 「気付く」ということは「分かっていないということ」を発見するということでもあります。 またそれは、「気付いていなかった自分」を発見するということでもあります。 そこに発生するのが「問い」であり、そこから思考が始まるのです。もしその人が、実際には何にも知らなくても「全てを知っている」と思い込んでいるのなら、思考は目覚めないのです。そして、人間としての成長も始まりません。 それはまた「0(ゼロ)の発見」とつながっています。「存在していないもの」を発見するのです。でもその「0」の発見がなければコンピュータも生まれなかったのです。 犬や猿も、そしてコンピュータも、「知らない世界」のことは知りません。唯一人間だけが「知らない世界」が存在していることを知っているのです。だから色々と想像したり、科学という方法を創り出したりしたのです。 人類が人間としての思考を始めたのは、そのように「自分たちには知らないことがある」と気付いたからなのです。そして、子どもが人間らしく成長するためにも「自分には知らないことがある」と気付くことが必要なのです。 道具を作るための思考力は人間以外の動物も持っています。でも、知らない世界のことを考えるための思考力は人間にしかないのです。 ちなみに、簡単な計算なら動物にだって出来ます。暗記も機械の操作も出来ます。だからそういうものは人間を特徴づけるものではないのです。 子どもたちは、「知らない世界」が存在していることを知るから、世界の広さを知り、そこから探求が始まるのです。 だから子ども達は「自然」や「言葉の世界」と出会う必要があるのです。「自然の不思議」「言葉の世界の不思議」と出会う事で、子ども達は「自分が生まれてきた世界の不思議」と出会う事が出来るのです。気付きが目覚めるのもその結果です。 最近の子ども達は「自然」や「言葉の世界」との出会いよりも「映像」との出会いの方が多いです。でも、映像は「不思議」を与えてはくれないのです。 ゲームの世界にも不思議は存在していません。そもそも、人間が創り出した世界に不思議は存在していないのです。 今この時期の紅葉に満ちた山の中を歩くと沢山の「不思議」と出会う事が出来ます。でも、映像でそのような景色を見ても「不思議」は感じません。当然、気付きも生まれません。 なぜかというと、映像では身体感覚に響かないからです。 実は、不思議を感じるのは「頭の働き」ではなく「身体感覚」なんです。 これは説明が難しいのですが、私が何らかの不思議を感じるときは「からだに響く何か」があるのです。「からだ」というよりも「生命感覚」なのかも知れませんけど。 命の不思議、花が咲く不思議、夕日を見て美しいと感じる不思議、赤ちゃんの笑顔に幸せを感じる不思議、こういうものは知識によって生まれるのではなく「身体感覚」や「生命感覚」によって生まれているのです。 ですから、「身体感覚」や「生命感覚」が萎えてしまっている人は、そのようなものに触れても不思議を感じないでしょう。 そして、「自然」や「言葉の世界」との出会いが、子どもの「身体感覚」や「生命感覚」を目覚めさせてくれるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.18 08:50:39
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