スポーツは「良い子」を育てるか
大阪のR2レフリーから紹介されて読みました。実は菅平の夜にでも読もうかと思って持っていったのですがそんな時間あろう筈もなく、結果的には全く開かずそのまま持って帰ってきました。午前中、まとまった時間が出来たので一気に読みました。子供のスポーツをおかしくしているのは大人である―この本のテーマです。多くの少年スポーツチームが表向きは子供のために、と言ってはいても、その実、大人の欲求を満たしてくれる「勝てるチーム」作り、そのための「勝てる選手」作りをしている現状、そしてそのことが子供に与える影響について詳述されています。 大昔、学童野球に携わったことがあります。当時は小学校の先生が地区の野球チームの監督をするのが当たり前の時代でした。都市部の学校ではそんなことはなかったのですが郡部、特に僕の勤務した地区では「先生が地域の野球チームの面倒を見るのは当たり前」でした。今でこそそんなことはなくなりましたが、その頃は小学校の先生でも授業よりも放課後の「部活動命」、休日返上で練習は当たり前、という先生がいました。そして、そういう先生が保護者(もちろん、野球をやっている保護者)から「熱心でいい先生」という評価を受けていました。 その基準からすると、僕は「不真面目でダメな先生」でした。僕は自分のクラスの子供との関わりの方が大事でした。自分のクラスにも野球をやっている子はいましたが、全体から見ればほんの一握りです。「自分のクラスより野球が大事」なんて先生が担任では、保護者も子供も迷惑この上なしです。 もちろん、野球を全くやらなかったわけではありません。ただ、野球部の保護者からすれば「練習が甘い」「これでは勝てない」という不満はあったのでしょう。「いつまでもラグビーなんてやってないで野球の面倒見てください」とか「あなたは本当のスポーツが分かってない」と面と向かっていわれたこともあります。 若かったせいもありますが、この手の批判を受けてまで関わっている義理はないと、校長に勤務時間中の練習及び休日の練習監督を断りました。校長には「考え直してくれないか」といわれましたが、仕事ではないわけですから強制権の発動は出来ません。チームの監督は保護者の中のひとりになりました。 翌年の最上級生(担任は僕です)は運動能力が非常に高く県大会上位進出が期待されました。と同時に妙な雰囲気も出てきました。例えば、ピッチャーの子がスポーツテストの遠投をしない、野球部はプールを見学する、極めつけは大会直前の修学旅行の日程をずらしてほしいという申し出までもがありました。と同時に、野球部に所属している子達も妙な様子になってきました。休日あけの宿題はやってこない、弱いものいじめをする、「つかえねぇ」といって力の劣る子を排除する等、練習の影響ではないかと思われる現象が見られるようになってきました。 この本を読んでいて、あの頃のことを思い出しました。 「スポーツで勝利することは素晴らしい。だが、勝利だけを追い求めているとスポーツ自体が貧弱なものになってしまう」あるスポーツ指導者の言葉です。子供のスポーツにピッタリの言葉です。