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カテゴリ:社会のこと
最近、格差というコトバが何故か頭からはなれず、ぐるぐる廻っていています。
格差自体は、今も昔もあり続けている中で、 格差が問題視されるようになった背景は何だろう? 格差の拡大と固定化、そこから生じる様々な問題・・・ 日本の国をすっぽりと覆っているともいわれていますが、、 経済的には、まだまだ豊かな日本においては、 例えば、(名古屋の)ミットランドスクエアで、日常的に食事をしたりショッピングしたりできる人と、 自分は中流とだ感じている人とでは、差し迫った格差感はないし、 飛行機をチャーターして旅行に行くような人たちとは、接点がないから、格差はあまり感じない。 それと同じく路上生活をしている人たちとの接点も、多くの国民は持っていない。 そして、今は、ちょっとしたきっかけと勇気さえがあれば、誰でも大概のところへは、足を運ぶことができるのが日本の社会です。 ただ、格差は確実に存在し、拡大し、固定化しつつあることも確かです。
世界的に観れば、日本のお金持ちは、慎ましやかな生活をしている人がほとんどだそうで、 日本に存在する貧困は、途上国といわれる国々の貧困とは種類の違うものだという指摘も頭に置きながら、考えてみました。 この格差が、日本という国にとって致命傷にならないために今、何ができるか。 制度面の充実はもとより、それと同じくらい、「格差感」が重要な切り口になるのではないかと思っています。
今の日本の格差感の根っこにあるのは 戦後、導入された民主主義思想と戦前からある共産主義的な思想とが、 結びついて日本人の中に知らず知らずのうちにできあがった偏った平等感と、 長い間かけて培われてきた、日本にしかなかった精神的な支柱の揺らぎではないかと思います。 また、経済格差があったにもかかわらず、戦後長い間、それが問題視されなかったのは、 高度経済成長によって、日本全体が目に見える形で経済的に豊かになってきたこ、 分相応という価値観を国民全体が心得ていたこと、 このふたつが、大きな原因ではないでしょうか。 1990年代以降、「格差社会」問題視されるようになったきっかけとしては、 大量の情報の行き来が可能になったことと、 モノが豊かになり、お金さえ出せば大抵のものは手に入れられるようになったことで、 長い間日本人の中に生きていた、分相応という価値観が崩れてしまった、 ということが挙げられると思います。
転換期といわれる今、格差という意識が浮上してきたことは、 変化しつつある価値観にみあう生き方を創りだすためにも、 日本人にとって必要なことだとも思えるのです。
西欧から個人主義という思想が、流れ込んできた明治維新から140年、戦後60年余り経った今、 欧米諸国が200年かけて熟成してきた キリスト教に基づく西洋的個人主義と日本の個人主義は、似て非なるもの、 一神教的な思想を土壌とした個人主義と、日本の多神教的な土壌とした個人主義(武士道に代表される自分で自分を律する個人主義)とを、 明確に意識していかなければならない時期にさしかかっていると思えるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.12 11:35:04
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