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カテゴリ:文章を書くこと
荻野央さん。「群系」「人物研究」届いています。有り難うございます。お礼状をと思いながら、いつもの横着癖で未着手となっております。すみません。いつもお心遣い感謝しています。
石崎徹さん。「樹宴」の最新2巻届きました。有り難うございます。こちらもお礼状が書けておりません。心苦しく思っております。 芸術と表現について、人の肖像を焼いたり、無念の死を遂げた兵隊たちの寄せ書きを「間抜け」と罵ったりしたものを「アート」だ「表現」だと言われても、芸術センスに富んだ知性的な人々ならともかく、僕のような感性の貧しい者にはまるで理解できないし、むしろ下品としか感じません。だから芸術論として「表現の不自由展・その後」について、僕に語る資格はありません。 ただ、津田さんがどうしてもあれをやりたいと腹をくくったのであれば、僕としては、公営の施設ではなく、あくまで腹を括った者同士で民間の施設を借りて、堂々とやればよかったと思います。 「敵を愛し迫害する者のために祈れ」と教えられてきた僕らキリスト教徒は、イエスを誹謗中傷されても、そんなに騒がないし自重できます。でもそれはあくまで信仰の果実であって、当たり前のことではありません。 イスラム教にはそんな教えはありませんから、サルマン・ラシュディ氏の預言者ムハンマドを茶化した『悪魔の詩』の発表をめぐって、出版関係者が複数、シーア派の人々の手によって暗殺されました。日本語訳した筑波大学の教授も殺害されました。ムハンマドを諷刺した新聞社やアパレル会社が攻撃を受けたというニュースは比較的新しいものだったと思います。 当然、暴力や脅迫は許されませんし間違ったことです。正当化するつもりもありません。僕が言いたいのは、人が神聖とし大切にしているものを踏みつければ、それが犯罪とわかっていても命と引き換えに刃を向けてくる者は出てくるということです。 そうした脅迫には屈しないと決意し、命を賭ける値打ちのある展示会だと腹をくくったのであれば、機動隊でも呼んで厳重な警護の中で堂々と会期終了日まで開催すればいい。表現の自由は保障されるべきです。ただし公営施設でやってはいけない。そこで働いているのは津田さんの思想とは関係のない一般の公務員なのだから。あの場合、本当にガソリンを撒かれていれば、犠牲になったのは津田さんでもそのお仲間でもなく、勤勉な職員と観客だったはずです。 僕には、津田さんがそこまで覚悟しているようには見えませんでした。反国家権力の甘ったれた自意識だけで、過去に撤去された反日モニュメントを「アート」と称して、あのような展示会をもくろんだのではないか。僕にはそんなふうに思えてなりません。 くり返しになりますが、「表現の自由」は保障されるべきです。しかし自由だからこそ、それをどう活用するかの責任が問われるのです。そして責任をとる覚悟があったのなら、公営施設を使用して公費負担で行うべきではなかった、と思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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