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祈りと幸福と文学と

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もず0017

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もず0017@ Re[1]:福山文学合評会に出席(05/16) 象先生 コメントありがとうございます。 …
象さん123@ Re:福山文学合評会に出席(05/16) 私もそういう文学の合評会に出席してみた…
もず0017@ Re[1]:「盆トンボ」表彰される(03/11) obasan2010さんへ ありがとうござ…
obasan2010@ Re:「盆トンボ」表彰される(03/11) 「盆トンボ」の表彰おめでとうございます!…
もず0017@ Re[1]:「狼の女房」 「ふくやま文学」第36号に掲載(03/02) 象先生 メアドは変わってないのですが、…

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2019.12.21
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カテゴリ:心象スケッチ
よい芸術は誰にでも支持される、というものではない。
よい芸術は、その芸術の深さを受け止めるに足る、鑑賞する側の器の深さを要求するものだ。

宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」には、武蔵の剣の修行をとおして達した、鋭くも静かな境地を思わせる気迫が感じられる。
この絵に、笛の第一人者である当時の藤舎推峰さん(現在の二世藤舎名生さん)が、打たれてしまったと、ご著書に書いておられたのを読んだのは、もう30年も前のこと。
藤舎名生さんもまた、修行に修行を重ね、山中に分け入り、笛一管でウグイスと掛け合いをするまでに到達した名人。
武蔵の発した芸術を受け止める器として、不足のない人物である。

同じ絵を、高校生の頃のもずも打たれ、いつまでも眺めたことがあった。だが、何にも達していないもずがいくら眺めたところで、それはただの、勉強をサボって絵を見ている高校生の図である。

一流の芸術には、受け止める器が問われるという一例であろう。

銘茶をマグカップで飲んでも、味は同じ。しかし、その味わいをより深く味わうには、マグカップよりも、粗末でも不細工でも、陶器の器でいただいたほうがよい。

野の花は、野にあるままがよい。神のお造りになった自然ほど最高の器はない。しかし、手折った野の花を生かすには、やはりそれなりの器がほしい。
器とは、花器のことにあらず。
花を生かそうと思う、奥ゆかしい人の心の器である。

     *

毎日日記を書くといっておきながら、またしても2週間放置。それどころか、夜のお祈りもしばしばサボりがちな最近だった。わけのわからない疲れに、一度気を緩めてしまうと、次の行動になかなか移れなくなっている。待降節は、僕とは無関係なところで過ぎていく。

今日こそ履歴書を書かなくてはもう間に合わなくなるとわかっていながら、どうしてもその気になれず。これは、不向きな仕事を予見する第六感なのか、それともただの疲れなのか。


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Last updated  2019.12.21 16:43:27
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