カテゴリ:美術
今まで、ベルリンベアーやミュンヘンのライオンを紹介しなかったのは、
正直、つまらない作品が多いからです。 これは、真っ白な同型の動物に、作家がペイントする、という競作企画なのですが… (東京では「牛」でやっていましたね。「牛」である必然性が見えなくて、スルーしましたが) ミュンヘンの「ライオン」は、まだましでしたが、それでも、 紹介に値するほどのものには、お目にかかりませんでした。 「ベルリンベアー」に至っては、良く出来た落書きですね、と言いたくなるほど。 ===== 作家の主張はあっても、思想がないのです。自己アピールだけ。 だから、「作品」に深みが感じられない。 「熊」の造形にどう挑戦し、どう見せるのか? 世界の作家たちが競演する中で、何を、どういう意図で、どう描くのか? こういう視点に耐えられる作品は、残念ながらほとんどありません。 かと言って「可愛げ」があるわけでもなく、デザインとしても中途半端なものが多い。 せっかくの面白い企画を、作家たちが、よってたかって台無しにしている感じです。 ===== 士門先生に、この「ベルリンベアー」のカタログ写真集を見せて頂いたのですが、 「自分の国」のアピールとして、民族衣装を着せているのが、ちょっと面白いくらい。 あと、中国の作家さんの作品くらいかな? 紹介しても良いと思えるのは。 その中で、士門先生の作品は、お世辞ではなく、群を抜いていました。 ----- 真っ白な前面に美しく流れる、書の文字。 背面には、うねる大波。 双方向から打ち寄せる波は、黄金の渦を巻いて、熊の尻尾を形作ります。 すごい。 文字の美しさは、そのまま日本文化を体現した美であり、 2つの大波は、太平洋と日本海と取ったなら、日本の国を、 太平洋と大西洋と取ったなら、文化のぶつかり合いと調和を、 そのまま意味しています。 そして、波が渦巻いて尻尾になる、その造形的必然性。 ----- 「本物を見たいのですけど、どこにあるんですか?」 「巡回している方は、どこの国か分からないけど、日本大使館にも、目立たないように置いてあるのがあるわよ。」 「目立たないように?」 個人作家の宣伝につながるからじゃないの?と先生。 あ。いや、えっと、そうか。 有名作家の作品だったら、喜んで飾るわよ。 ええ。そう言われれば、確かに、「美しい国」日本は、そんな国。 事なかれ主義、ではあるのですけど、 それは、自分の「美意識」に自信がないことの現われでもあります。 ----- 日本が文化的に本当に素晴らしいものをもっていて、 たくさんの素晴らしい作家さんを抱えていて、 それでも、今一つ文化的に「つまらない」のは、 「内輪の評価」が変な価値を持っているから。 だから、マンガやJ-POPなど、「鑑賞者」がちゃんとしている世界では、 面白い作品が、いくつも出てきて、さらに高められている。 演劇の世界だって、様々なジャンルミックスがあって、 その中で「面白いもの」がちゃんと存在している。 ===== 「ピカソもダヴィンチも、好きかどうかは自分で決める」 紺洲堂主人さんの言う「フハッ」がない作品なんて、「私」には価値が無いのです。 素直にそれで良いはずなのに、権威とネームバリューが先に来てしまう。 入門としては、それで良いのでしょうけど…。 いや、でも、きっと、良くなって来ているのだと思います。 しかし、それが、「国」まで、たどり着くのは、いつのことか。 「権威」までたどり着くのは、いつのことか。 ----- オノ・ヨーコさんにしても、草間彌生さんにしても、活躍の場を海外に求めたわけですし、 村上隆さんも奈良美智さんも、海外での評価が先でした。 千住博さんも、杉本博司さんも、海外拠点ですし…。 彼らの作品が「日展」で評価されたとは聞いたことがありません。 もちろん、「日展」から、そのキャリアを花開かせる才能もあるのでしょうが。 一方で、彼ら彼女らの名前を紹介してきた「目」はあるわけで、 それらがあるからこそ、私たちが「作品」に出会うきっかけがあったことも、 忘れてはなりません。 ===== 美しいリソースがいっぱいあるのに、フェノロサや、ブルーノ・タウトに 「再発見」してもらうまで、その価値に気付いていなかった日本。 本当は、美術の世界でも、世界中から憧れと羨望をもって、 「学びに行きたい」と思わせるだけの、多様で、独特で、深みのある、 素晴らしいリソースが、今でもいっぱいあるのです。 ----- 例えば、正直、東京の方が、ベルリンより「美術」のレベルは高い。 そりゃ、日本には、名の通った大作家の「西洋絵画」なんてありませんよ。 なくて、当たり前じゃないですか。 (ま、倉敷の大原美術館みたいな美術館もありますけど。) ----- でも、ロダンに対し、平櫛田中翁がいる。円空仏がある。 岡倉天心が育てた、日本画の才能たちの素晴らしい作品。 円山応挙のリアリズム。富嶽三十六景のダイナミズム。 曼荼羅の緻密さ。観音仏の永遠の微笑み。絵巻物の面白さ、軽妙さ。 近代デザインの美しさ、建築の面白さ。 マンガにゆるキャラ、ネットアニメにライトノベル。 ミステリーに時代小説、経済小説。 ----- 日常生活だって、 江戸小紋に西陣織、「紋」の多様性。 「野にあるように」の華道、「書」の伸びやかさ、 香りが「道」になる香道、その道具の美しさ。 釘隠しの芸術性、日本庭園の精神性。 街角のカフェのセンス、ギャラリーのウィンドーに覗く若手作家の作品、 居酒屋のメニューのレイアウト、洗練された地図のヴィジュアル。 ----- 歌舞伎と京劇の対比、能の仮面性、能装束の絢爛さ、文楽の伝統、 節分、雛祭り、端午の節句に七夕祭…それぞれの地方の多様な祭り。 えっと…音楽とか、ダンスとかは詳しくないのでここは省略。 ----- これらが魅力的でないとでも? それなのに、才能は海外に流出しているのです。 むしろ、呼び込めるだけの「リソース」も「魅力」もあるのに、です。 ----- 言うまでもありませんが、私は「日本文化」を殊更 称揚しようとは思っていません。 ただ、「西洋」とは違う「伝統文化」が日本にはあり、 それを大切にして、その魅力をちゃんと理解することが、 価値の多様性を認める、ということだ、ということです。 ===== 小学生に英語を教えるくらいなら、もっと他に、しなきゃいけないこと、 体験させてあげなきゃいけないことは、いっぱいあるだろう、と思うのです。 それは、世界の広さであり、文化の多様性であり、それを知った上での自分達の文化。 日本語の美しさも知らず、日本の文化も芸術も語れず、 日本語でのコミュニケーションも取れず、何が国際化なのだか。 ミュンヘンのユースで出会った、ある青年のレベルの低さ、感受性の鈍さには、ぞっとしました(こちら) きっと「オレは海外知ってるぜ!でも日本が最高!」とか、帰国して言ってるんだろうなぁ。 (もちろん、マイミクになって頂いたような、素敵な人達にも、たくさん出会ったことも言い添えます。) ----- 日本を代表しているはずの「政治家先生」が、その程度のレベルなのだから、仕方ないですね、 ではなく、そんなレベルの「先生」には、もういい加減、降りて頂かないと。 若者の悪口を言うくらいなら、そういう若者を育ててしまった自分たちを恥じる、 そんな謙虚さを持たない「年寄り」どもには、何も期待してません。できません。 ===== ま、「文化」に関して言えば、浮世絵しかり、歌舞伎しかり、黄表紙しかり、 本当に面白いモノは、「政治」とは無関係に育ってきた、という部分が常にあるんですけどね。 ベルリンベアーのつまらなさは、実は、行政が絡んでいるから、なのかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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