カテゴリ:美術
明治という時代は、奇跡の時代だったのだな、と思うことがあります。
天才達が、惜しげもなくその才能を開花させた時代であった、という意味において。 岡倉天心は、間違いなく明治を彩る天才の一人。 自身美術家にして、美術評論家であり、美術史家であり、作家であり、 なにより、教育者でした。 この展覧会は、教育者としての岡倉天心にスポットを当てた、 東京藝大設立120周年記念の展覧会。 岡倉天心は、27歳にして、東京美術学校(現・東京藝大)の第2代校長に就任。 横山大観、下村観山、菱田春草を輩出させた立役者でもあるのです。 ===== 入口すぐに置かれているのが、平櫛田中「活人箭」。 これに関しては、以前、茨城県の五浦にある天心記念館に行った時に拝見しています。 てか、岡倉天心に関するお話も、こちらをご参照頂ければ。 ===== さらっと解説されていましたけど、藝大に講師として あの森鴎外や、「建築学」を創った伊東忠太を招いた、と。 いやいやいやいや。 ----- 森鴎外(1862-1922)は、独逸留学時代に、若い芸術家たちとの親交も深く、 帰国後も評論や展覧会審査を通じて、芸術にかかわりを持ち、 後には、東京国立博物館館長も務めています。 それにしても、藝大でいかなるお話をなされたのだらふ? 森鴎外と芸術については、数年前、ズバリ「森鴎外と芸術」という展覧会がありました(行けませんでしたけど)。 @島根県立岩見美術館 → こちら @和歌山県立近代美術館 → こちら @静岡県立美術館 → こちら ----- そして、伊東忠太(1867-1954)。 日本に「建築学」という言葉をもたらした建築家であり、 世界を旅し、日本建築史を著し、築地本願寺を建て… これまた明治を代表する、知の巨人の一人。 ちなみに建築学的に言うと、フランク・ロイド・ライトと同年生まれ。 日本史的には、夏目漱石・正岡子規・南方熊楠らと同期です。 ----- こんな人達を講師に招いて、って、今から考えても、すごく贅沢な話。 ===== そして、「教材」としての古美術収集・修復・模写・模作事業。 また、第一級の「先生」達が作ってみせる「教材」のレベルの高さ。 今でも皇居近くで見ることの出来る「楠正成像」の原型彫刻とか、 とんでもないものも置いてあります。 それらの緊張感に満ちた美しさは、とてもではありませんが、 「言葉」で伝えられるレベルを超えています。 ----- 残念ながら、岡倉天心は、藝大を追われる形で、校長の職を辞します。 しかし、その精神は、紆余曲折を経て、形を変えながらも、 今の藝大に息づいていると言えるでしょう。 それは、「温故知新」なんて言葉にまとめきれるものではない、美への求道精神。 ----- 溜息が出るほど、素晴らしい展覧会でした。 ===== 『岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ― 』 @東京藝術大学大学美術館 (上野) [会期]2007.10/04(木)~11/18(日) [開館]10:00-17:00 [休館]月曜日 [料金] 一般 500円 / 大学生・高校生 300円 / 中学生以下無料 作者: 岡倉天心 (Kakuzo Okakura;1863-1913) wiki 横山大観 (YOKOYAMA Taikan;1868-1958) wiki 下村観山 (SHIMOMURA Kanzan;1873-1930) wiki 菱田春草 (HISHIDA Syunso;1874-1911) wiki 松田権六 (MATSUDA Gonroku;1896-1986) wiki 六角紫水 (ROKKAKU Shisui;1867-1950) wiki 板谷波山 (ITAYA Hazan;1872-1963) wiki 竹内久一 (TAKENOUCHI Kyuichi;-) 藝大HP 高村光雲 (TAKAMURA Kouun;1852-1934) wiki 平櫛田中 (HIRAGUSHI Denchu;1872-1979) wiki 等 【参考】 森鴎外(1862-1922) 伊東忠太(1867-1954) 夏目漱石(1867-1916) 正岡子規(1867-1902) 南方熊楠(1867-1941) 『ワタリウム美術館の岡倉天心・研究会』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 25, 2007 05:25:00 PM
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