|
カテゴリ:筋萎縮性側索硬化症
母の弟もALSだった。40代半ばだったので、3人の子供も就学中で大変だったろう。四半世紀前のことなので記憶も薄れがちだが、母の実家に帰省(弟は長男)すると「指先に力が入らず足はツッカケ(サンダル)がすぐ脱げちゃうんだ」と話していたのを思い出す。
母から筑波医大付属病院に入院したと聞いた。原因不明の病気で(ALSかどうかも分からず)、病院も研究材料に特別な計らいをしていると聞いた。闘病やむなく弟は半年足らずで亡くなり、葬儀に主席にした僕はあることを鮮明に覚えている。 田舎の火葬場なので、ゆっくり時は過ぎ、焼かれた遺骨の説明をしている時ソレハおきた。例のごとく「喉仏の骨はこうひっくり返すと仏様の姿にそっくりで」のあと「献体しました?頭蓋骨の頭がお皿のように斬られて」脳を献体したのだ。ホルマリンの満たされた硝子の器に保存されて、今もあるのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月26日 05時26分50秒
コメント(0) | コメントを書く
[筋萎縮性側索硬化症] カテゴリの最新記事
|