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カテゴリ:NOVEL
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「…ええと」 ぽり、と腕輪を嵌めた方の手でこめかみを掻き、まだ腕の中に納まっているおデコくんが言葉を紡ごうとしていた。 「お嬢さんが居ないのは残念だけど、折角だし途中まで一緒に帰ろうか」 ね? と腰を屈めて彼の耳元で話すと、「ぎゃっ」と妙な声を上げておデコくんが耳を押さえた。 「耳元で喋らないで下さい!」 くすぐったいじゃないですか、とぷりぷり怒りながら彼はその頭上にある僕の顔を見上げた。 その表情のなんとまぁ可愛らしいこと。怒っていても可愛いとは、なんて罪な子なんだろうか。 「? どうしました、牙琉検事」 「…あ、ああ。オーケイ、以後気をつけるよ」 もしかしたら耳が弱いのかな、なんて悶々と考えているせいで返事もしなかった僕を不安に思ったのか、おデコくんが細い首を傾げてみせる。 そんな彼に慌てて生返事を送ると、僕は気を取り直してこれから行う彼との夜の散歩へ考えを巡らせた。 「ちなみにおデコくんは、これから何処へ向かうのかな?」 「あ、事務所に帰ります。荷物が置きっ放しなので。牙琉検事は?」 「僕はこのまま自宅へ帰るよ」 「検事の家って此処から近いんですか?」 「うーん、あんまり近くは無いかな。徒歩30分位」 「遠いですね!」 「おデコくんの家までは此処からどれ位なの?」 「家から此処まで歩いてきたことは無いので正確には分かりませんけど、少なくとも検事程時間はかからないと思います」 「ふうん。あ、おデコくんはこの道はどっちに曲がる?」 裁判所の門に差しかかり、目の前の左右に伸びる道路を認めて彼に問う。 「左ですよ」 「あ、じゃあ僕と一緒だ。何処まで一緒に帰れるかなぁ」 何となくウキウキして、語尾がだらしなく伸びてゆく。 門を出て直ぐに左に曲がる。すると目の前にはお嬢さんが左へ曲がった交差点があった。何も聞かずに真っ直ぐ歩いていてもおデコくんは何も言わないから、此処でお別れということもなさそうでほっとする。 此処から先は暫く直線の道が続くから、そう簡単にさようならとはいかないだろう。 「あの、検事」 「? 何?」 「肩を抱くの、そろそろ止めて貰えませんか? その…人目につきますし」 言われてみて自分の左手の中にすっぽり納まっている存在を確認する。そういえばさっきお嬢さんとおデコくんを抱き寄せてから(一度アメリカンジェスチャーをするために手を離したけど、それ以外は)ずっとこのままだったんだ。 「うーん、ダメって言ったら?」 ぎゅーっと、更に力を込めて胸元に引き寄せると、 「何ふざけてんですかアンタは!!」 僕の耳の鼓膜を破ろうとしているのか、彼は物凄い轟音で叫んだ。 さっきの可愛い怒り方よりも本気で怒っているらしい。 折角のおいしい状況であったが、彼をこれ以上怒らせるよりも此処は素直に従っておくのが得策だろう。 「ごめんごめん」 出来るだけさっきの発言が冗句だったと思って貰えるように、底抜けに明るい声で喋って左手をパッと離す。 「ったく…」 ぶつくさ文句を言いながら、彼は右手に抱えた鞄を抱え直した。 どうやら冗句であると受け取って貰えたみたいだけれど、それでも彼の機嫌は絶好調に斜めに傾いているようだ。 何か話題を提供して、彼の怒りをうやむやにさせて貰おうっと。 何が良いだろうかと、丁寧に考えてみる。 「そうだ。ずっと誰かに聞いてみたかったことがあったんだ」と、あることを思い出した僕は、それを話題にしようと考え付いた。 「おデコくんおデコくん」 「…何ですか?」 うわぁ。言葉尻に棘がある。ううん、寧ろ言葉全体に棘がある。 こんなんで話を進めて大丈夫だろうかと、一抹の不安が胸を過ぎった。 「僕ね、今度新曲を出すんだ」 横に並んで歩く彼の方を向いてニコニコと笑んでみる。 「…ああ、あの“音が苦”バンドですか」 僕の笑みなど効果が無いと言わんばかりに毒舌が冴える。 「ひ、酷いなぁ…。ラミロアさんとの合作なら喜んで聞いてくれていたじゃないか」 「あれはバラードだからです。普段のガリューウエーブの曲はほぼ100パーセント“音が苦”じゃないですか」 おデコくんはにべもなくそう言い切った。 僕は俄然焦り始めて、しどろもどろに話を進める。 「でもね、今度作る新曲っていうのはバラードなんだよ」 「へぇ」 ちょこっとだけ、彼の声のトーンが上がった。 あ、ちょっとは興味を持ってくれているのかな。 「それでね、君にちょっと聞いてみたいことがあって」 「……俺に、ですか?」 怪訝そうな顔をして、つぶらな瞳をきゅっと細めて僕の方を向く。 「ああいや、君だけにっていう訳じゃないよ。もしお嬢さんも此処に居たら、お嬢さんにも聞いていたんだけど」 なんでこんなに必死になっているんだろう、僕。 ちょっぴり切なくなってしまうけれど、それというのもきっとひとえに彼に恋しているが故なのだろう。 「その新曲は、欲しい物を手に入れようとあれこれ策を講じる男の子の歌になる予定なんだ」 「もう歌詞は出来ているんですか?」 「いや、それがね。最初に僕が作った歌詞だと、欲しい物っていうのが好きな女の子だったんだ」 「最初?」 「うん、その歌詞をプロデューサーに提出してみたら、今までに作った歌にも似たような雰囲気の曲があるからってダメ出しされちゃったんだ。ガリューウエーブと言えば恋の歌というのが定石って世間では見られているから、たまには方向転換した曲を作ってみたらどうだって言われてさ」 それで、と僕は続けた。 「教えて欲しい。君だったら、今欲しい物は何かな?」 勿論、彼の欲しい物をモチーフにして歌を作るとは限らない。 ずっと自分一人で歌詞を考えてみても、どうやっても女の子イコール欲しい物という方程式しか頭の中には浮かび上がってこなかったから、ちょっとだけ誰かの意見を聞いて発想を広げようと思ったのだ。 じっと隣を見つめていると、左手の人差し指を皺の寄った眉間に突きつけて思案顔のおデコくんがゆっくりと固い口を開いていく。 眉間から手を下ろし、何処か遠い所を見ているような、そんな目をして。 何もかもを諦めた、そんな感じの顔をして。 「 」 ぽつり、と。 誰にも聞こえないような小さな声で、おデコくんは呟いた。 きっと誰にも聞かせるつもりなんて無かったのだろう。 迷子の幼子のような、今にも泣き出しそうな表情。それを惜しげも無くさらしていた。 まるで此処に僕が居ることなんて忘れているかのように、ただ独りで此処を歩いているかのように、俯いている。 どうしてだろう。ひどく彼を抱きしめたい衝動に駆られた。 でもさっき嫌がられたばかりだからそれはせずにおいて、ただ彼の動向を側で見守ることに決める。 僕は何も見なかった、聞かなかった。 そういうふりをすることにした。 「おデコくん、どうしたの?」 たった一言、そう声をかける。 すると突然彼は勢いよく顔を上げ、丸まりがちだった背筋をしゃんと伸ばした。 口元にはいつもの人好きする笑みを浮かべて、さっきまで垂れ下がっていた二本の触覚を、ピンと伸ばした。目には鮮やかな光が灯り、迷える幼子の表情などまるで僕の見間違いだったかのような錯覚を植えつけられそうになった。 「あ、大丈夫です! 欲しい物って言ったら……やっぱり給料ですね。うちの事務所、いつでもカツカツなんで」 えへへ、と頬を掻いていつもの張りのある大声を響かせる。 ……嘘だ。 そう思って、彼の曖昧な微笑みを見据える。 先の彼の言葉を聞き逃すような、僕はそんなヤワな男ではない。 正面切って「嘘だ」と発言したいところだったが、彼が隠したがっているものを無理に突付く権利なんか僕には無かった。 さっきの表情からして、もしそんなことをしたら、彼の心の奥深くに潜んでいる膿んだ傷を、ぐりぐりと抉ることになるのはほぼ間違いない。 残念ながら、そんな狼藉を行って彼に許される程、僕はまだ彼と親しい間柄では無かった。 だから僕は、彼の嘘に騙されてあげることにした。 「おやおや、それは困りものだね。でも欲しい物が“給料”っていうバラードも、ちょっとなぁ」 「ちょっと世知辛いバラードになりそうですね」 サラリーマンなんかには、ひょっとしたらウケるかもしれませんよ。 そんな風に悪態を吐いて、ニヤニヤと意地の悪い笑みを湛える彼が、鞄を抱える右手で左に立つ僕の胸を叩く。 「どうしようか、コンサートに中年のおじさんが列を成していたら」 そう言いながら、ちょっとだけその様子を想像してみることにした。 「検事目当ての女の子達が茶色い悲鳴を上げそうですね」 ……確かに。 「はは、そうなった時にはおデコくんが責任もって何とかしてよね」 「え、本当にそれで曲作るつもりなんですか!?」 「さぁてね」 急に慌てて「俺、嫌ですよ! 女の子達の前に出ておじさん達の弁護するのなんて」と僕を説得しようと試みる彼が面白くて、僕はニマニマ笑ってはぐらかした。 ほんの少しして、「あ、俺あそこの交差点を右に行きます、検事は?」と彼が尋ねてきた。 ふっと前に視線を転じると、そこはまだ僕の曲がるべき交差点では無かった。 別れの時なんてあっという間に来てしまう。 あと何歩一緒に歩けるのだろう。 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩、六歩、七歩、八歩、九歩、十歩。 きっかり十歩でさようならを迎えた。 「じゃ、検事。くれぐれも俺の意見なんて参考にせず、女の子達が黄色い悲鳴を上げるような歌詞を作って下さいね」 「ふふ、どうなるかは新曲が出てからのお楽しみってところさ、おデコくん」 それじゃ。 どちらからともなくそう言って、どちらからともなく相手に背を向けて。 彼は右へ、僕は曲がらず真っ直ぐ先へ。 道は分かたれた。 僕はまだ彼のことを知らない。 だからさっきの一言が、どれだけの意味合いを含んでいるのか到底理解も及ばない。 けれど、決めた。 次の曲は、彼の心情を歌おうと。 一番欲しい物が「家族」だと呟いて、寂しげに笑う彼の心を歌おうと。 僕は彼に干渉する権利を持たない。 誰も彼に干渉することは出来ない。 だけど、彼を知ることは僕にも許される筈だ。 彼の心を推し量ることは、誰にでも許され得る筈だ。 そのためには、僕のあまり会いたくないあの人に会うことも辞さない。 近い未来、彼のことを誰よりも知っているあの人に、必ず会いに行く。 そしてパズルのピースを受け取って、彼のために歌を作るんだ。 それはきっと、胸を震わす飛び切りのバラードになるだろう。 完成した曲をもし彼が聴いたら、どんな反応を返してくるかな。 もしかしたら彼の呟きを聞いていたことに気付かれ、大声で怒鳴られてしまうかもしれない。 或いは、自らの感情と近しいその歌を聴いて、手に入らない物を思って涙を流すかもしれない。 そんなことを思いながら、僕は一人家路に着いた。 END 続編とかもそもそ考えてたり。 続編というか、オマケみたいな感じ。 ちなみに。 牙琉検事が会いたくないけど会いに行こうとしてる相手は、王泥喜君の事務所に在籍する、ピアノの弾けないピアニストさんのことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.04 23:33:49
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