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カテゴリ:アナウンサーやナレーターの仕事
「小春さん」、
という方が 前回の日記にコメントをくださっていた。 今日は遅ればせに返信の形で。 小春さんから、 >カッコ良くて素敵だった釧路時代に放送局でお逢いしました。あの頃は細身で華奢な感じでしたが。 >俳優さんになっていたかもしれないんですね^^ > >高校受験の中学3年生、深夜放送で元気と勇気をもらった世代です。 > >なつかしいな~~~? > >お元気そうで良かったです。 > >名前はHNですが。 >また来ます(^^)v ----- ワー、久しぶりに自分のブログにきてみたら! ひさしくチェックもしてなかった。 嬉しい書き込み発見。 感謝。 1972年9月から74年6月まで赴任していた、 HBC釧路時代に私の番組を聞いていてくださったのですね。 もうあれから39年!!。 あの頃番組宛に、 毎週70通位の中高生からの投書をいただいていました。 人口30万の釧路根室圏内で毎週70通ものレター数は 東京に換算すると 40倍の3000通だ!なんて言っていましたっけ。 中高生の投書はほとんどが「ラジオネーム」というのを使っていましたね。 うーん「HNちゃん」ですか? 多分毎週、独り言のようなかわいい文章を 送ってくださっていた気がします。 ハガキのほかに封書には紅茶が入っていたり、 飴がはいっていたり、 当時のかわいらしい中高生の心遣いを思い出します。 やはり恋の話や、告白の仕方とかが主でしたね。 1時間の放送時間内で、 できるだけ紹介しようと 早口で読みあげ、感想を私が付け加えて やり取りしましたね。 あのころはメールもケータイ電話もないし まだるっこしかったけれど、 確かに心の交流が、番組と聴取者と聴取者同士にもあったと思います。 当時の私は、体重50キロあるかないかでしたねえ。 スタジオに来られたことがあったのでしょうか。 一度スタジオの近くの学校の皆さんがHBCの緑ヶ丘の放送スタジオに 数名でこられたことがありました。 良かったら音声付のブログを見てください。 「釧路ナイトないとNaight」のテーマ曲を紹介しています。 http://musameji.at.webry.info/200912/article_1.html 当時の番組のテープも何本かは残っているのです。 10インチのオープンリールのマザーテープから MP3におとして、CDにしているのもあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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