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2006/07/03
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カテゴリ:まじめな教育論
「天才」という言葉がある。「天才」とは「今まで誰も考え付かなかったモノを生み出せる」才能のことである。

文学や音楽や絵画の世界では「天才」以外は食っていけない。文学や音楽や絵画を愛好する人は「天才」にしか興味を持てないし、「天才」の作品にしか金を払わないから当然のことだ。

「天才」に必ずしも師匠は必要ない。「天才」の才能とは、師匠から弟子へ伝わるものではない。「天才」の才は伝承しない。個人から突然生まれてくるものだ。

だから、毎日のルーティンな授業や、厳しい訓練から「天才」は生まれてこない。「天才」は教育機関には似合わない。
文学部へ行っても誰もが小説家になれないし、美術学校へ行っても絵描きになれるとは限らない。小説家や音楽家や画家を確実に育てることを保障する教育機関はない。「天才」は教育機関の外部から、しばしば登場する。

繰り返す。文学や音楽や絵画で成功するには「天才」でなければならない。
では「天才」になるためにどういう努力をしなければならないか? 
そもそも努力してなれる才能を「天才」とは呼ばない。しかし努力はしなければならない。努力をすれば眠っていた「天才」を発掘できる可能性がある。
しかし勉強の世界とは違って、自らの「天才」を開拓するためには、努力の方法も独自のものでなければならない。

ミュージシャン志望の人間が一流になるためには、音楽理論を学び、楽器の腕を上げるよりも、クスリに手を染めた方がベターであるケースもある。単身NYで放浪し精気を吸った方が成功への近道になる。
文学や音楽や絵画で成功するには、努力の方法もオリジナルで「ぶっ飛んで」いなければならない。努力の方法で模索し悩む。

しかし勉強の世界は違う。勉強とは師匠から弟子へ、先生から生徒へ、参考書から脳味噌へ、知識や思考回路をそのまま伝承することに他ならない。
勉強には「今まで誰も考え付かなかったモノを生み出せる」才能は要らない。勉強とは「今まで誰かが考え付いたモノを素直に受け取る」作業だ。

音楽や芸術や小説の世界で成功するには「人の真似はしてはならない」か「人の真似はある程度するが、それに独創性を加える」必要があるが、勉強の世界で高い学力を上げるには「人の真似をしなければならない」のである。

文学部へ行って「真面目に」努力しても実際に小説家になれる人間は少ない。しかし法学部や理学部や工学部や医学部で「真面目に」教授や先生の言いなりになっていれば、希望の職業に就ける。真似をする努力が自分を高める。

勉強の努力は物理的な積み重ねの努力である。しかし小説や音楽や絵画で飯を食うには自分の中で化学的な「変異」を待たなければならない。時には爆発しなければならない。

芸術家の大爆発は岡本太郎氏のように面白い作品を生み出し見る者を喜ばせる。
しかし外科医が手術中に大爆発を起こしたら患者が困る。
手術中の医者は自分が勉強した内容の忠実なしもべでなければならず、オリジナリティの発揮は学んだ内容の延長線上でなければならない。

もちろん医学や理学や工学や社会学にも「天才」は必要だ。しかし医学や理学や工学や社会学では「天才」の真似でも食っていける。天才は1%存在すればいい。「天才」以外の人は模倣に徹すればいい。模倣こそが人の役に立つ。そして「天才」の模倣の過程を努力と呼ぶ。





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Last updated  2006/07/03 04:58:23 PM
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