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2006/07/04
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カテゴリ:まじめな教育論
私が求めてきたライフスタイルについて話そう。

私は中学校・高等学校を通して、登校拒否の気があった。
小林秀雄は「世捨て人は世を捨てた人ではない、世に捨てられた人だ」と言っていたが、今考えると私も「登校を拒否した人ではなく、登校を拒否された人」だったのだろう。

アクの強い人間は毒をまわりに放つ。まわりの人間は毒を恐れて近づかない。やがてアクの強い人間は孤独になる、学校を避ける。
自分の意思で登校を拒否したのではない。アクの強い性格のせいで居場所がなくなったのだ。

とにかく極度な学校嫌いになり、進級会議に引っかからないギリギリの限度だけ出席して、あとは野球場と映画館に入りびたっていた。
塾へも小6の時1年間広島の進学塾へ、高1のとき半年間代ゼミの本校へ行ったきりだ。

友人も深くつき合える3~4人を除いては表面的にしか会話をしなかった。私は人の好き嫌いが異常に激しく、自分と向き合えない軽薄な人間が大嫌いだ。相手方はもっと私が嫌いだろう。とにかく社交的とは程遠い性格だった。

私は人嫌いだ。小林秀雄風に言えば「人が嫌いな人間」ではなく「人に嫌われる人間」なのだろうか。

そんなわけで、私は集団生活ができない。また教師という人種に、学校生活を通じて生理的嫌悪感を強く抱いていた。

こんな性癖を持つ私が目指したライフスタイルは、「人といかに接触を少なくして食っていくか」ということだ。
企業への就職は、私にとって奴隷になるのと何ら変わりない苦痛だった。
ただフリーターのように、企業に安い賃金で酷使されるだけの存在になることは潔しとはしなかった。

だからこそ「個人塾の塾長」は、まさに私にうってつけの職業だ。天職だ。

相手にする人間は純粋無垢な田舎の子供だけ、サラリーマンのように嫌な上司に我慢することもない。何のしがらみもなく、自分が正しいと思ったことを素直に口にできる。

今の私は、自分の理想の生活を送っている。青春時代に自分が望んだ以上の、信じられないような生活だ。

自閉症的な性格を持つ私のような人間がやっている塾に、何故子供が来るのだろうか、親が子供を預けるのだろうか、そんな不思議な感触にとらわれつつ、日々を過ごしている。

そして最近、私の個人主義的な性癖が、現在の「自己中心的」な子供達の感性と、不思議に合うことに気がついた。もしかしたら私が自分の短所だと思っていたことが、特定の子供に受ける原因かもしれない。

私は自分の個人主義的ライフスタイルを絶対に守りたい。私がもし塾を拡大する場合があるなら、私の現在の幸福を脅かす異物の排除が目的だ。

でも、そんな偏屈な私にも最近、「社会的貢献」を成さねばならないという、どこからともなく湧き上がった衝動に突き動かされた。
自己を核とする小宇宙的を形成し、そこには誰も立ち入らせない、また自分からも出て行かないライフスタイルに疑問を感じた。正直言うと飽きがきた。
何か、教育界に爪痕を残す何かができないだろうか。

無名の人間が世の中を動かす最善の方法は、1に暴力、2に言論だというのが私の持論だ。
ただ暴力というのはあまりに突飛で非現実的、かつ共感を得づらい手段なので、ブログでものを書くことが、自分にできる等身大の実践だ。





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Last updated  2006/07/04 05:49:14 PM
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